Toulouse-Lautrec

トゥールーズ=ロートレック

1864年、中世に遡る名門伯爵家に生まれたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)は、1891年に初めててがけたポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》で成功を収めます。彼はポスター制作を通して習得したリトグラクの技法を用いた多彩な版画作品や油彩画なども数多く残していますが、ポスター画家としての評価のみが先行し、フランスの国公立美術館はロートレックの没後も、彼の油彩作品を受け入れませんでした。美術史におけるロートレック「不在」のこの時期に、彼の存在全体を評価する契機を作ったひとりが、友人で画商でもあったモーリス・ジョワイヤン(1864-1930)です。彼は遺族と協力しながら、1902年のフランス国立図書館へのロートレック版画作品の寄贈と、1922年のアルビのロートレック美術館開館に尽力しました。
三菱一号館美術館は、ジョワイヤンが守り伝えてきた作家の遺産を含む作品群(モーリス・ジョワイヤン・コレクション)のうち、ヴァージョン違いを含むポスター32点のみならず、刷りの異なる2点の《ロイ・フラー嬢》(1893年)をはじめとする主要版画作品、そしてアンリ=ガブリエル・イベルス(1867-1914)と共作した『カフェ・コンセール』(1893年)や、『彼女たち』(1897年)といった代表的版画集を所蔵しています。これらすべてとともに本展では、フランス国立図書館から借用した版画作品11点を加えた136点により、「時代の記録者」ロートレックの作品を、「不在」とその表裏の関係にある「存在」という視点から、見直してみたいと考えています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《メイ・ミルトン》、1895年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵

I
ロートレックをめぐる「存在」と「不在」

ここではロートレックの生前から彼の作品にいち早く注目したピカソをはじめ、ロートレックの「不在」の間も作品を守り続けたジョワイヤンとともに、画家によって「存在」を記録されたモデルや友人たちに注目します。
生前のロートレックに注目していた画家のひとりに、ピカソがいます。彼はロートレックに触発されて、サーカスや貧しい人々などを主題としました。彼はまた、《青い部屋》(1901年、ワシントンD.C.、フィリップス・コレクション蔵)に、亡くなった直後のロートレックへのオマージュとして、ポスター《メイ・ミルトン》を描き込んでいます。
ダンサーのメイ・ミルトンの名は、数件の当時の新聞雑誌の記事にも見出すことができますが、残された彼女の記録はこれらの記事と、ロートレックのこのポスターそして数点の素描のみと、ごくわずかです。
ロートレックは生前、ジョワイヤンへの友情の証として、献辞入りの作品を贈呈しています。また画家は、ジョワイヤンを表す動物として、ワニを選びました。ジュール・ルナール著『博物誌』の表紙裏には、画家からの献辞とともに、ワニが描かれています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《エルドラド、アリスティド・ブリュアン》、1892年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)》、1893年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵

II
「反復」による強調
ブリュアンのマフラーとアヴリルの帽子

ロートレックは、顔つきや髪型、体型だけでなく着衣や身に着けていた小道具にモデルの存在を還元して繰り返し描くことで個性を強調し、モデルの存在を人々の記憶に刻みこみました。ロートレックは、歌手のアリスティド・ブリュアンの場合はマフラー、踊り子のジャヌ・アヴリルの時は帽子に注目し、それを反復しています。またブリュアンがロートレックの油彩作品を買い上げ、ポスター制作を依頼したことが、画家がモンマルトルで活躍するきっかけとなりました。ジャヌ・アヴリルもまた画家の才能を高く評価し、ポスターを注文しています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『イヴェット・ギルベール』表紙》、1894年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵
※会期中『イヴェット・ギルヴェール』はページ替えがあります。

III
「不在」と「存在」の可視化:ポスターとギルベールの黒い長手袋

ロートレックが描いた人々は、はるか昔に世を去り、今日ではほとんどその存在が忘れ去られていますが、画家のポスターによって記憶されています。喜劇役者コーデューの恰幅の良い体躯や長い手袋を舞台に立つ時に常用していた歌手のイヴェット・ギルベールのように、彼はモデルの個性的な特徴を強く打ち出して、その存在を印象付けました。ポスター《ディヴァン・ジャポネ》では、紳士にエスコートされた女性はその帽子からジャヌ・アヴリル、ステージ上の顔が描かれていない歌手はその手袋から、ギルベールであることがわかります。『イヴェット・ギルベール』の表紙も歌手の姿はなく手袋が描かれているだけですが、彼女の姿がないにもかかわらず、それが不在の持ち主の存在を主張しています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《メイ・ミルトン》、1895年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵

IV
色彩の「不在」と線描の「存在」

ロートレックのポスターは鮮やかな色彩の多色刷りが完成品ですが、モーリス・ジョワイヤン・コレクションには単色の刷りのポスターが多く残されています。またロートレックは、『カフェ・コンセール』などに多くの挿絵を寄せていますが、当時の挿絵はほとんどが単色刷りでした。色彩が不在のこれらのポスターの試し刷りと挿絵は、色版が重ねられると存在感が薄くなっていますが、表現力豊かなロートレックの描線の存在を主張するものでもあります。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《ロイ・フラー嬢》、1893年、リトグラフ/紙、フランス国立図書館蔵

V
形態の「不在」

アメリカ合衆国出身のダンサーのロイ・フラーは、踊る自らの白い衣装に次々と色が変化する照明を巧みに投影する鮮烈なステージで世間の注目を集めました。そこでロートレックはロイ・フラーを表現するにあたり、踊り子の表情や衣装の形などの具体的形態ではなく、色彩の変化に集中し、一点ずつ色を変えて表現しています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《『彼女たち』 行水の女―たらい》、1896年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《54号室の女船客》、1896年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵

VI
テキストの「不在」
女性の「存在」と
男性の「不在」

石版画集『彼女たち』は、二つ折りの表紙に作品を挟み込む、ポートフォリオの形式をとっています。ここでロートレックは言葉(テキスト)の助けを借りずに、女性たちの多様な存在を表現することに挑戦しています。
『彼女たち』の制作にあたりロートレックは、貧しい娼館でスケッチを行い、作品の享受者として男性を想定していました。しかしここに男性の姿は可視化されていません。「不在」と「存在」をめぐる関係でもあることを、この版画集は教えてくれます。