マネが画家として活動を始めた1850年代は、ロマン主義の台頭を経て、新たなレアリスムのうねりの中でバルビゾン派やコロー、クールベらの実験的な近代絵画が自己革新を遂げようとしていた時期でした。そのような中でマネは、16世紀のヴェネツィア派や17世紀オランダの画家フランス・ハルスなど、過去の巨匠たちの作品に強い関心を持ちます。その中で最もマネが惹かれたのは、それまで比較的知られていなかったベラスケスをはじめとする17世紀スペインの絵画でした。ベラスケスの絵画に具わった、対象に寄せる真摯なレアリスムと簡潔な筆捌きによる光や色彩の扱いに、マネは優れた近代的感受性を看て取ったのです。《ローラ・ド・ヴァランス》や《死せる闘牛士(死せる男)》などは、そうしたマネの研究成果が一挙に開花した作品と言えます。
他方、詩人ボードレールの美学に共感したマネは、変わりゆくパリの街を歩きながら、都市に生きるさまざまな階層の人々にロマン主義的な視線を向けていました。ボードレールの愛人ジャンヌ・デュヴァルの肖像《扇を持つ女》や流しの女性歌手を描いた《街の歌い手》はそうした傾向の代表的作品です。
1863年の「落選者展」に展示された《草上の昼食》や1865年のサロン出品作《オランピア》によってマネの名は、スキャンダラスな主題を扱う画家として広く世間に知られます。他方、小説家ゾラは、新しい時代の芸術をリードする画家としてマネを強く擁護しました。《エミール・ゾラ》はこの二人の芸術家の交流を描きとめた記念碑的作品です。そしてちょうどこの頃、ナポレオン3世とオスマン男爵による都市計画を通して、パリの街は新たな近代都市へと劇的な変貌を遂げようとしていました。















