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三菱一号館美術館

館長対談

館長対談 vol.18

ゲスト

太田治子さん

館長対談 vol.18ゲスト 太田治子さん

人の顔に興味があるので、つい人物画をじっくり観てしまいます
— 太田治子

多くの方が自分の好きな絵に出会えるきっかけになる展覧会に
— 高橋館長

太田ブルジョワ家庭のお嬢さんであり、マネに絵を学びながら彼のモデルも多く務めた女性画家のモリゾですね。マネが描いたモリゾの肖像画の前に立つと、こちらまでドキドキしてきます。あんな蠱惑的な目でマネのことを見つめていたんだなと。モリゾは、マネを慕いながらも、マネの弟のウジェーヌと結婚しましたよね。

高橋モリゾの母親は反対したみたいですけれどね。ウジェーヌは身体も強くないし、兄と違っておとなしい男性だったから。でもモリゾが描いた絵には、娘の面倒をよくみる“イクメン”としてウジェーヌがいつも登場しています。きっと懸命にモリゾを支えるウジェーヌに対して、彼女はとても感謝していたんでしょう。でも、どうしても義兄となったマネに対する想いを妄想してしまいます。不思議な家族関係ですね。

太田心と心がかたく結ばれていても、マネにはすでに妻がいたから、結婚ができない。永遠の恋人という選択肢もあったかもしれないけれど、モリゾはウジェーヌと結婚することで、マネのそばにいることを選んだのでしょうね。実際にそういう方、わたし知っています。ウジェーヌはきっと気立てのよい“いいひと”だったんでしょう。

高橋先日、「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」(三菱一号館美術館)の内覧会で、国立西洋美術館の馬渕明子館長にお目にかかった際、ちょうどマネとモリゾの話をしたんですよ。馬渕さんは、モリゾがマネの奥さんをおしのけて一緒になってしまったら、マネに画家としてつぶされただろうと。「ウジェーヌと一緒になってほんとうによかったわね」とおっしゃっていました。僕が疑問を挟んだら、「モリゾがマネと結婚できなくて、不幸せだったと思っているでしょう。でも、自分の絵を描くことができたんだから、モリゾは幸せだったのよ」と言われました。おまけに、「高橋明也は女性がわかってないわ」とも(笑)。絵は、こんなふうに好き勝手にいろいろ語っていいものだと、僕は思うんですよ。

太田とてもおもしろい。専門家の方でも、そんなふうにお話しなさるのね。

高橋太田さんは、人物画がお好きなようですね。

太田人の顔に興味があるので、つい人物画をじっくり観てしまいます。

高橋人の顔に興味があるというのはどうしてですか?

太田やはり描き手の感情が、生々しく伝わってくるからかしら。画家の心と作品は別物だとわかったうえでも、絵はやっぱり正直なものだと思うんです。たとえば、ナビ派の画家のボナール。20代から70代まで、奥様のマルトを描き続けています。マルトには「お疲れさまでした」って言ってさしあげたい。でもマルトは、ボナールに本名をずっと隠していたという話が伝わっていますよね。こちらもまた不思議な関係性。距離のある関係なのかと思う一方で、やはりマルトを描き続けたボナールの作品からは、彼のある意味オタク的な妻に寄せる深い心情が見て取れます。

高橋でも、ボナールの作品のなかに出てくるマルトと猫を比較すると、下手したら猫のほうを可愛く描いているんじゃないか、って思うこともありますよ。

太田それはいけませんね。

高橋それでもマルトとは離れがたい関係だったということなんですね。

太田ええ、わたし、以前ボナールの最後の自画像を観て驚いたことがあるんです。

高橋あれは、すごいですよね。油っけが抜けた亡霊のような作品。

太田あんな風に自分の老いに向き合い、突き放して描けるものかと驚きました。若いころはインテリ青年のような素敵な感じだったからよけいにね。でも妻のマルトは、ボナールのカンヴァスのなかで、年月を経てもあまりわからずに若いまま。やはりボナールにとってのマルトは、永遠の女性だったんじゃないかとわたしは思うんです。

高橋なるほど。やっぱり僕はあまり女性がわかっていないのかな(笑)。

太田もちろん人物を描いた作品以外でも、気になる作品はあります。セザンヌの静物画も好きですよ。そう、セザンヌといえば、わたしは以前、ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)でサント=ヴィクトワール山を描いた作品を観て、とても感動したことがありました。後年、セザンヌの故郷エクス=アン=プロヴァンスに旅する機会があったので、あの青い美しい山を見るのをとても楽しみにしていたんです。でも、実景を前にしたら、単なる岩山でびっくり。けれども同時に、これぞ画家だなと思いました。セザンヌにとっては、「わが心の山」ですからね。きっとセザンヌの目には、絵の通りの美しい山に見えていたんでしょうね。

高橋僕は以前、妻とともに寒い季節にミュンヘンからエクスに旅したことがありまして、エクスに降りたたった瞬間、空が真っ青で、これぞ南仏だ! と晴れ晴れとした気分になったことがありました。

太田ご一緒されたのが愛妻だったからでしょう。わたしはひとり旅。

高橋いえいえ(笑)。でも、雨の降る寒いミュンヘンで、ナチス時代の「ダッハウ」強制収容所なんかを訪れて、気持ちが落ち込んでいたせいはあります。セザンヌは今回、南仏のマルセイユ湾を描いた作品が出品されます。太田さんがどんなふうにご覧になるか、とても興味深いです。今回の展覧会は、太田さんのような自由な発想で、より多くの方がご自分の好きな絵に出会えるきっかけになるといいと思っています。

太田わたしは、好きな絵がいつも待っていてくれる常設展示も好きですが、企画展の楽しみは、初めての出会いをもたらしてくれるドキドキ感だと思っています。今回の企画展もどんな絵と出会えるか、今からとても楽しみです。

太田治子
作家
神奈川県小田原市生まれ。明治学院大学文学部卒業。1976~79年、NHK『日曜美術館』初代アシスタントを3年間務める。1986年、『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞を受賞。主な著書に『母の万年筆』、『万里子とわたしの美術館』、『絵の中の人生』、『明るい方へ』、『時こそ今は』、『星はらはらと』など、小説、ノンフィクション、エッセイなどを多数執筆。最新作に、『湘南幻想美術館』。

館長対談

人の顔に興味があるので、つい人物画をじっくり観てしまいます
太田治子

多くの方が自分の好きな絵に出会えるきっかけになる展覧会に
高橋館長

太田ブルジョワ家庭のお嬢さんであり、マネに絵を学びながら彼のモデルも多く務めた女性画家のモリゾですね。マネが描いたモリゾの肖像画の前に立つと、こちらまでドキドキしてきます。あんな蠱惑的な目でマネのことを見つめていたんだなと。モリゾは、マネを慕いながらも、マネの弟のウジェーヌと結婚しましたよね。

高橋モリゾの母親は反対したみたいですけれどね。ウジェーヌは身体も強くないし、兄と違っておとなしい男性だったから。でもモリゾが描いた絵には、娘の面倒をよくみる“イクメン”としてウジェーヌがいつも登場しています。きっと懸命にモリゾを支えるウジェーヌに対して、彼女はとても感謝していたんでしょう。でも、どうしても義兄となったマネに対する想いを妄想してしまいます。不思議な家族関係ですね。

太田心と心がかたく結ばれていても、マネにはすでに妻がいたから、結婚ができない。永遠の恋人という選択肢もあったかもしれないけれど、モリゾはウジェーヌと結婚することで、マネのそばにいることを選んだのでしょうね。実際にそういう方、わたし知っています。ウジェーヌはきっと気立てのよい“いいひと”だったんでしょう。

高橋先日、「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」(三菱一号館美術館)の内覧会で、国立西洋美術館の馬渕明子館長にお目にかかった際、ちょうどマネとモリゾの話をしたんですよ。馬渕さんは、モリゾがマネの奥さんをおしのけて一緒になってしまったら、マネに画家としてつぶされただろうと。「ウジェーヌと一緒になってほんとうによかったわね」とおっしゃっていました。僕が疑問を挟んだら、「モリゾがマネと結婚できなくて、不幸せだったと思っているでしょう。でも、自分の絵を描くことができたんだから、モリゾは幸せだったのよ」と言われました。おまけに、「高橋明也は女性がわかってないわ」とも(笑)。絵は、こんなふうに好き勝手にいろいろ語っていいものだと、僕は思うんですよ。

太田とてもおもしろい。専門家の方でも、そんなふうにお話しなさるのね。

高橋太田さんは、人物画がお好きなようですね。

太田人の顔に興味があるので、つい人物画をじっくり観てしまいます。

高橋人の顔に興味があるというのはどうしてですか?

太田やはり描き手の感情が、生々しく伝わってくるからかしら。画家の心と作品は別物だとわかったうえでも、絵はやっぱり正直なものだと思うんです。たとえば、ナビ派の画家のボナール。20代から70代まで、奥様のマルトを描き続けています。マルトには「お疲れさまでした」って言ってさしあげたい。でもマルトは、ボナールに本名をずっと隠していたという話が伝わっていますよね。こちらもまた不思議な関係性。距離のある関係なのかと思う一方で、やはりマルトを描き続けたボナールの作品からは、彼のある意味オタク的な妻に寄せる深い心情が見て取れます。

高橋でも、ボナールの作品のなかに出てくるマルトと猫を比較すると、下手したら猫のほうを可愛く描いているんじゃないか、って思うこともありますよ。

太田それはいけませんね。

高橋それでもマルトとは離れがたい関係だったということなんですね。

太田ええ、わたし、以前ボナールの最後の自画像を観て驚いたことがあるんです。

高橋あれは、すごいですよね。油っけが抜けた亡霊のような作品。

太田あんな風に自分の老いに向き合い、突き放して描けるものかと驚きました。若いころはインテリ青年のような素敵な感じだったからよけいにね。でも妻のマルトは、ボナールのカンヴァスのなかで、年月を経てもあまりわからずに若いまま。やはりボナールにとってのマルトは、永遠の女性だったんじゃないかとわたしは思うんです。

高橋なるほど。やっぱり僕はあまり女性がわかっていないのかな(笑)。

太田もちろん人物を描いた作品以外でも、気になる作品はあります。セザンヌの静物画も好きですよ。そう、セザンヌといえば、わたしは以前、ブリヂストン美術館(現 アーティゾン美術館)でサント=ヴィクトワール山を描いた作品を観て、とても感動したことがありました。後年、セザンヌの故郷エクス=アン=プロヴァンスに旅する機会があったので、あの青い美しい山を見るのをとても楽しみにしていたんです。でも、実景を前にしたら、単なる岩山でびっくり。けれども同時に、これぞ画家だなと思いました。セザンヌにとっては、「わが心の山」ですからね。きっとセザンヌの目には、絵の通りの美しい山に見えていたんでしょうね。

高橋僕は以前、妻とともに寒い季節にミュンヘンからエクスに旅したことがありまして、エクスに降りたたった瞬間、空が真っ青で、これぞ南仏だ! と晴れ晴れとした気分になったことがありました。

太田ご一緒されたのが愛妻だったからでしょう。わたしはひとり旅。

高橋いえいえ(笑)。でも、雨の降る寒いミュンヘンで、ナチス時代の「ダッハウ」強制収容所なんかを訪れて、気持ちが落ち込んでいたせいはあります。セザンヌは今回、南仏のマルセイユ湾を描いた作品が出品されます。太田さんがどんなふうにご覧になるか、とても興味深いです。今回の展覧会は、太田さんのような自由な発想で、より多くの方がご自分の好きな絵に出会えるきっかけになるといいと思っています。

太田わたしは、好きな絵がいつも待っていてくれる常設展示も好きですが、企画展の楽しみは、初めての出会いをもたらしてくれるドキドキ感だと思っています。今回の企画展もどんな絵と出会えるか、今からとても楽しみです。

プロフィール

太田治子
作家
神奈川県小田原市生まれ。明治学院大学文学部卒業。1976~79年、NHK『日曜美術館』初代アシスタントを3年間務める。1986年、『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞を受賞。主な著書に『母の万年筆』、『万里子とわたしの美術館』、『絵の中の人生』、『明るい方へ』、『時こそ今は』、『星はらはらと』など、小説、ノンフィクション、エッセイなどを多数執筆。最新作に、『湘南幻想美術館』。