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三菱一号館美術館

館長対談

館長対談 vol.16

ゲスト

森村泰昌さん

館長対談 vol.16ゲスト 森村泰昌さん

僕のほうが人数が多い! バーン=ジョーンズに勝ったぞ!
— 森村泰昌

森村さんのセルフポートレイト作品を通して、新たな発見をさせてもらえる
— 高橋館長

高橋91年に発表されたセルフポートレイトは、すべてロセッティの作品がモティーフですか?

森村ロセッティが多いのですが、バーン=ジョーンズもあります。全6作品制作しました。バーン=ジョーンズの代表作のひとつ《黄金の階段》は、本物では楽器を手にした女性たちが半円の螺旋階段を降りてきますよね。

高橋ええ、とても印象的な絵です。発表当時は主題を巡って問い合わせが殺到したといわれている作品ですね。

森村僕のセルフポートレイトでは、階段を360度の円形にして、倍にしたんです。僕のほうが人数が多いし、バーン=ジョーンズに勝ったぞ!と(笑)。

高橋この人数はたいへんだ! よく見るとポーズも衣装も違うのに、バーン=ジョーンズの作品の雰囲気がすごくよく出ています。とくにこの衣装、とてもいいですね。

森村これはイタリア・ヴェネツィアのデザイナー、フォルチュニから取り寄せたドレスです。

高橋えっ!? 本当に?
じつは本展の次の展覧会が「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展」なんですよ! 繊細なプリーツを施した絹サテンの「デルフォス・ドレス」で一世を風靡したフォルチュニですよね。

森村そうなんですか? ええ、そのフォルチュニです。
《黄金の階段》を制作する際、衣装が悩みの種でした。衣装が揃わないと絵の登場人物になりきれないんです。そんなとき、フォルチュニのドレスを紹介され、これだと思いました。すとんとした袋状のシンプルなワンピースですが、プリーツが施されているから、つまみ方などを変えて少しアレンジするだけでラインが変わるんです。
ひとつずつ違うドレスに見えるかもしれませんが、全部同じドレスなんですよ。工夫ができる、遊べる衣装です。

高橋あまりの偶然に驚きました。次の館長対談にもお呼びしたくなってしまいます(笑)。しかしラファエル前派がフォルチュニを使っていたはずはないのに、すごく近いイメージですね。

タイトル:階段を降りる天使達
制作年:1991年
技法:カラー写真 透明メディウム

森村本物にどう近づけていくかが、セルフポートレイトの一番難しいところであり、面白いところでもあります。でもそっくりに模写するのではなく、近いところに着地させることに意味があるんです。そうすることで、2つの異なる世界のつながりが見えてくる。
たとえば、《Fan》(ロセッティの《モンナ・ヴァンナ》に着想を得たセルフポートレイト作品)は、日本の打ち掛けを衣装に使っています。アクセサリーには珊瑚や鈴を使ったりと、かなり日本風の工夫をしました。
でもあまり違和感はないでしょ。僕はラファエル前派と日本美術に影響関係があったのかどうか、美術史的な知識はありませんでしたが、どこか通じるものを感じたんです。僕がどのように作品を見たのかを、セルフポートレイト作品として提案したいなと思っています。

高橋だからこそ、森村さんの作品になるんですね。そして森村さんのセルフポートレイト作品を通して、わたしたちも新たな発見をさせてもらえる。ロセッティはじめ、ラファエル前派の作品に扮したことで、発見はありましたか?

森村髪の毛ですかね。とくにロセッティが描く女性は、みな豊かな髪の持ち主なんです。だからウィッグを山のように使いました。4つくらい盛らないと雰囲気が出ないんです。僕は「脳みそヘア」と呼んでいます(笑)。

高橋ほんとうだ! それはこれまで余り気づかなかった点です。ロセッティが描くファム・ファタル(宿命の女)は、赤毛が多いなとは思っていたけれど、繁茂するかのような髪もファム・ファタルの象徴なのかもしれませんね。それは実際にロセッティのファム・ファタルになられた森村さんだからこそ分かるポイントですよ(笑)。

森村ロセッティやバーン=ジョーンズはどの作品を見ても髪の毛がものすごく主張する絵ですよね。

高橋この髪の描き方を見ていたら、イギリスを代表するターナーの風景画に描かれている周囲を飲み込むような湿度の高い、もわっとした空気感、嵐のような自然にも通じるように思えてきました。

森村たしかにイギリスは庭園ひとつとっても、かっちりした幾何学的なフランス式庭園とはちがって、自然がそのまま息づいている感じがありますね。ラファエル前派の描く髪の毛は、たとえばフランスのロココ時代の作り上げた髪の毛やかつらとはまったく違う。

高橋ラファエル前派は、人工的な極みの美だと思っていたけれど、視点を変えると、まったく違う「自然が」現れた! それもてんこ盛りのウィッグの話から(笑)。まるで世話物の歌舞伎みたいです。様式美を重んじるいっぽうで、写実的で草木の香りまでも臭ってくるような黙阿弥とかの世界です。

森村道行き、心中……。ああ、たしかに愛と死だ。やっぱり日本人が好きなはずです(笑)。
セルフポートレイトは、他人になりきるわけですから、いずれも大変ですが、今から思うとラファエル前派の世界は割とやりやすかった気がします。とくにロセッティが描く女性って、男性が扮装しやすいんです。首なんかもよく見てみると太いし、骨格がしっかりしているでしょ。
いっぽうでルノワールの描く女性や少女は難しいんです。ラファエル前派の作品のなかの女性たちは、いわゆるフェミニンなものとは違って、宝塚や少女マンガの登場人物につながる中性的な魅力があるんですよね。

高橋5年前になりますが、当館で「ザ・ビューティフル」と冠したイギリスの唯美主義の展覧会を開催しました。そのときのキャッチコピーは「唯、美しく。」。そして今回は、ほぼ同時代を扱いますが、キャッチコピーは「美しい、だけじゃない。」です(笑)。
造形的な美しさだけでなく、森村さんがおっしゃったように、少女マンガのような、エンドレスに続く物語的な世界もラファエル前派の魅力のひとつとして楽しんでいただければいいなと思っています。

森村ゴッホもラファエル前派も、僕が一度出会った作家や作品は、その世界とのご縁ができるようで、作品を制作し終わっても、ずっと気になる存在です。友だちと同じように、今どうしているのかなあなんて考えるんですよ。
個人的には、今はヴィクトリア朝時代の男性が気になっているんです。ラファエル前派の精神的な指導者となった美術批評家のラスキンも、そしてロセッティも才能はあって、すごいことをやっていますが、ちょっと情けない男性のような気がしていて。そのへんも今回の展覧会で確かめてみたいですね。とても楽しみにしています。

森村泰昌
美術家
1951年大阪市生まれ。大阪市在住。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。1985年、ゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作。以降、今日に至るまで、一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続ける。国内外の展覧会は多数。また文筆家として雑誌や新聞へ寄稿するほか、著書も多数。2018年11月には、自身の美術館「M@M(モリムラ@ミュージアム)」を大阪・北加賀屋にオープンした。

館長対談

僕のほうが人数が多い! バーン=ジョーンズに勝ったぞ!
— 森村泰昌

森村さんのセルフポートレイト作品を通して、新たな発見をさせてもらえる
— 高橋館長

高橋91年に発表されたセルフポートレイトは、すべてロセッティの作品がモティーフですか?

森村ロセッティが多いのですが、バーン=ジョーンズもあります。全6作品制作しました。バーン=ジョーンズの代表作のひとつ《黄金の階段》は、本物では楽器を手にした女性たちが半円の螺旋階段を降りてきますよね。

高橋ええ、とても印象的な絵です。発表当時は主題を巡って問い合わせが殺到したといわれている作品ですね。

森村僕のセルフポートレイトでは、階段を360度の円形にして、倍にしたんです。僕のほうが人数が多いし、バーン=ジョーンズに勝ったぞ!と(笑)。

高橋この人数はたいへんだ! よく見るとポーズも衣装も違うのに、バーン=ジョーンズの作品の雰囲気がすごくよく出ています。とくにこの衣装、とてもいいですね。

森村これはイタリア・ヴェネツィアのデザイナー、フォルチュニから取り寄せたドレスです。

高橋えっ!? 本当に?
じつは本展の次の展覧会が「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展」なんですよ! 繊細なプリーツを施した絹サテンの「デルフォス・ドレス」で一世を風靡したフォルチュニですよね。

森村そうなんですか? ええ、そのフォルチュニです。
《黄金の階段》を制作する際、衣装が悩みの種でした。衣装が揃わないと絵の登場人物になりきれないんです。そんなとき、フォルチュニのドレスを紹介され、これだと思いました。すとんとした袋状のシンプルなワンピースですが、プリーツが施されているから、つまみ方などを変えて少しアレンジするだけでラインが変わるんです。
ひとつずつ違うドレスに見えるかもしれませんが、全部同じドレスなんですよ。工夫ができる、遊べる衣装です。

高橋あまりの偶然に驚きました。次の館長対談にもお呼びしたくなってしまいます(笑)。しかしラファエル前派がフォルチュニを使っていたはずはないのに、すごく近いイメージですね。

タイトル:階段を降りる天使達
制作年:1991年
技法:カラー写真 透明メディウム

森村本物にどう近づけていくかが、セルフポートレイトの一番難しいところであり、面白いところでもあります。でもそっくりに模写するのではなく、近いところに着地させることに意味があるんです。そうすることで、2つの異なる世界のつながりが見えてくる。
たとえば、《Fan》(ロセッティの《モンナ・ヴァンナ》に着想を得たセルフポートレイト作品)は、日本の打ち掛けを衣装に使っています。アクセサリーには珊瑚や鈴を使ったりと、かなり日本風の工夫をしました。
でもあまり違和感はないでしょ。僕はラファエル前派と日本美術に影響関係があったのかどうか、美術史的な知識はありませんでしたが、どこか通じるものを感じたんです。僕がどのように作品を見たのかを、セルフポートレイト作品として提案したいなと思っています。

高橋だからこそ、森村さんの作品になるんですね。そして森村さんのセルフポートレイト作品を通して、わたしたちも新たな発見をさせてもらえる。ロセッティはじめ、ラファエル前派の作品に扮したことで、発見はありましたか?

森村髪の毛ですかね。とくにロセッティが描く女性は、みな豊かな髪の持ち主なんです。だからウィッグを山のように使いました。4つくらい盛らないと雰囲気が出ないんです。僕は「脳みそヘア」と呼んでいます(笑)。

高橋ほんとうだ! それはこれまで余り気づかなかった点です。ロセッティが描くファム・ファタル(宿命の女)は、赤毛が多いなとは思っていたけれど、繁茂するかのような髪もファム・ファタルの象徴なのかもしれませんね。それは実際にロセッティのファム・ファタルになられた森村さんだからこそ分かるポイントですよ(笑)。

森村ロセッティやバーン=ジョーンズはどの作品を見ても髪の毛がものすごく主張する絵ですよね。

高橋この髪の描き方を見ていたら、イギリスを代表するターナーの風景画に描かれている周囲を飲み込むような湿度の高い、もわっとした空気感、嵐のような自然にも通じるように思えてきました。

森村たしかにイギリスは庭園ひとつとっても、かっちりした幾何学的なフランス式庭園とはちがって、自然がそのまま息づいている感じがありますね。ラファエル前派の描く髪の毛は、たとえばフランスのロココ時代の作り上げた髪の毛やかつらとはまったく違う。

高橋ラファエル前派は、人工的な極みの美だと思っていたけれど、視点を変えると、まったく違う「自然が」現れた! それもてんこ盛りのウィッグの話から(笑)。まるで世話物の歌舞伎みたいです。様式美を重んじるいっぽうで、写実的で草木の香りまでも臭ってくるような黙阿弥とかの世界です。

森村道行き、心中……。ああ、たしかに愛と死だ。やっぱり日本人が好きなはずです(笑)。
セルフポートレイトは、他人になりきるわけですから、いずれも大変ですが、今から思うとラファエル前派の世界は割とやりやすかった気がします。とくにロセッティが描く女性って、男性が扮装しやすいんです。首なんかもよく見てみると太いし、骨格がしっかりしているでしょ。
いっぽうでルノワールの描く女性や少女は難しいんです。ラファエル前派の作品のなかの女性たちは、いわゆるフェミニンなものとは違って、宝塚や少女マンガの登場人物につながる中性的な魅力があるんですよね。

高橋5年前になりますが、当館で「ザ・ビューティフル」と冠したイギリスの唯美主義の展覧会を開催しました。そのときのキャッチコピーは「唯、美しく。」。そして今回は、ほぼ同時代を扱いますが、キャッチコピーは「美しい、だけじゃない。」です(笑)。
造形的な美しさだけでなく、森村さんがおっしゃったように、少女マンガのような、エンドレスに続く物語的な世界もラファエル前派の魅力のひとつとして楽しんでいただければいいなと思っています。

森村ゴッホもラファエル前派も、僕が一度出会った作家や作品は、その世界とのご縁ができるようで、作品を制作し終わっても、ずっと気になる存在です。友だちと同じように、今どうしているのかなあなんて考えるんですよ。
個人的には、今はヴィクトリア朝時代の男性が気になっているんです。ラファエル前派の精神的な指導者となった美術批評家のラスキンも、そしてロセッティも才能はあって、すごいことをやっていますが、ちょっと情けない男性のような気がしていて。そのへんも今回の展覧会で確かめてみたいですね。とても楽しみにしています。

プロフィール

森村泰昌
美術家
1951年大阪市生まれ。大阪市在住。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。1985年、ゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作。以降、今日に至るまで、一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続ける。国内外の展覧会は多数。また文筆家として雑誌や新聞へ寄稿するほか、著書も多数。2018年11月には、自身の美術館「M@M(モリムラ@ミュージアム)」を大阪・北加賀屋にオープンした。