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三菱一号館美術館

館長対談

館長対談 vol.12

ゲスト

片山右京さん

館長対談 vol.12ゲスト 片山右京さん

「アート」と「自転車」が美術館で出会う!?

かつて、F1レーサーとして、その恐いもの知らずの走りで「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれ、
多くのファンを魅了してきた片山右京さん。
じつは、当館館長の高橋明也とは、浅からぬ不思議なご縁がありました。
長い歳月を経て再会した二人が、アートと自転車を軸に深く語り合います。

“レースをやりたいという気持ちだけで、
生まれて初めて飛行機に乗ってパリに降り立ちました”
— 片山さん

高橋片山さんとはほんとうに不思議なご縁ですよね。初めて出会ったのはパリ。1986年の2月のことでした。

片山もう31年も前のことですか。

高橋僕は当時、オルセー美術館の開館準備室に客員研究員として1年半あまり在籍していて、ちょうどパリの部屋を引き払って帰国するときでした。その部屋を借りにきたのが、片山さんだったんですよね。

片山ええ、ソルボンヌの屋根裏部屋。家賃は3700フラン(当時のレートで約9万3000円)でした。僕はあの時、カーレースをやりたいという気持ちだけで、生まれて初めて飛行機に乗ってパリに行ったんです。アン・ドゥ・トロワさえも知らなかったのにね(笑)。それで知り合いの写真家の方から、当時館長が住んでいらした部屋を紹介されて……。

高橋そうそう。その時、僕は片山さんのことを何も知らなくて、寒い冬のパリなのに、とても軽装の若者が現れて、車関係の仕事をしたいからパリに住むなんて言うじゃないですか。「パリは寒いですね~」なんて屈託なく笑う姿を見て、心配になっちゃって、僕、たしか自分が着ていたバーバリーのコートをあげたんですよ。「もう帰国するから、どうぞ」って言って。

片山ええ、そうです。僕、あのコート、ずっと愛用していたんですよ。じつはそのコートを着てポン・ヌフの上で撮った写真が写真集に収められたこともありました。

“僕、あのとき、のちのF1ドライバー「カミカゼ・ウキョウ」に
すごい暴言を吐いてるんです”
— 高橋館長

高橋そうなんですか!?それは見てみたいなぁ。僕、あのとき、のちのF1ドライバー「カミカゼ・ウキョウ」にすごい暴言を吐いてるんですよ。

片山えっ? そうでした?

高橋ええ。車関係の仕事をしていて、運転しているってうかがったから、こっちは左ハンドルだけれど大丈夫ですか?なんて聞いたんですよ。これ、嘘みたいだけれど本当の話。いつか片山さんのファンにこの話をしたいと思っていたんです(笑)。石を投げられそうですけれどね。でも、片山さんは怒りもしないで「ええ、大丈夫ですよ」って答えてくれた。いや~、失礼しました。

片山いえいえ、だって、カッコつけて車関係の仕事をしているなんて言ってましたが、そのときは仕事になんてなっていませんでしたから。ラリーの取材に来ているカメラマンの方の運転手をしたりして、なんとかしのいでいた時代です。ほんとうに貧乏でした。

高橋パリにはどのくらいいらしたんですか?

片山足かけ10年住みました。あのソルボンヌの部屋には2年半暮らして、その後はモンマルトルのサクレ・クール寺院のすぐ裏にも住みました。F3000に移ったときには、ピガールにも。そうそう、ムーラン・ルージュのすぐそばでしたよ。

高橋モンマルトル、ムーラン・ルージュとくればトゥールーズ=ロートレックですね(笑)。今回の館長対談で片山さんにお声掛けしたのは、今秋から開催予定の「パリ・グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」のお話をぜひしたいなと思ったからなんですけれど……。でも、そこにはもう一つの偶然の出会いがあったんですよね。

片山そうそう、あれはほんとうにビックリしましたよ (笑)。

高橋じつは少し前に、僕が半蔵門のイタリアン・レストランで知人と食事をしていたとき、彼が昔かかわっていたF1の話になったんです。それで僕が何げなく片山さんとのパリのエピソードを話していたら、なんとそこに、当のご本人、片山さんが現れた!

片山しかも、館長と食事をされていた方は、僕が全日本チャンピオンになったときからお世話になっていた、僕もよく存じ上げている方だったという。

高橋それが31年ぶりの再会。仰天しちゃってね。もうこれは天啓だ!と思って、今回、対談のお相手にご指名させていただいたというわけです。

片山館長から声を掛けていただいたら、問答無用に「御意」とお返事するしかありません(笑)。でも冷静に考えたら、芸術って、僕のような肉体労働者とは正反対の世界のことなので、今日はドキドキしながらうかがいました。。

高橋いや、そんなことないですよ。いま、片山さんは精力的に自転車競技に取り組んでいらっしゃるけれど、ロートレックのポスター作品に《シンプソンのチェーン》というのがあるんです。自転車とチェーンを製造するシンプソン社のために制作されたポスターです。ご存知でしたか?

片山ええ。チェーンの形が違うといって、却下されてしまったポスターらしいですね。友人の受け売りですけれど。でも、今回こうした機会をいただいて、ロートレックのことを一夜漬けで、少しだけ調べてみたんです。彼が活躍した19世紀後半は、1896年にアテネで第1回近代オリンピックが開催されて、そのときすでに自転車競技もあったんです。その7年後の1903年には、ツール・ド・フランスが始まっています。そして、1900年には、第2回オリンピックが開催されますが、その少し前には、ロートレックはゴッホと一緒にキャバレー通いにハマっていたと知って、時代が違っても人間は変わらないんだなと。へんな親近感を覚えたりして(笑)。

高橋この《シンプソンのチェーン》が制作されたのは1896年。まさにアテネ五輪が開催された年ですね。

片山当時の自転車をイタリアまで見に行ったことがあるんですが、すでに3段ギアがついていて、原型はいまとほとんど変わっていないんです。車ははるかにその後ですし、F1の開催もその後。だから、いまでは僕は「どうだ自転車はすごいだろ!」と言っているんです(笑)。

高橋この頃はパリに空前の自転車ブームが到来して、女性も乗り始めたんです。19世紀の終わりから20世紀初めにかけては、現代につながるさまざまなものが生まれてきたとても面白い時代でした。ちなみに旧三菱一号館の建物も1894年に完成しています(笑)。

館長対談

館長対談 vol.12

ゲスト 片山右京 さん

「アート」と「自転車」が美術館で 出会う!?

かつて、F1レーサーとして、その恐いもの知らずの走りで「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれ、多くのファンを魅了してきた片山右京さん。じつは、当館館長の高橋明也とは、浅からぬ不思議なご縁がありました。
長い歳月を経て再会した二人が、アートと自転車を軸に深く語り合います。

“レースをやりたいという気持ちだけで、
生まれて初めて飛行機に乗ってパリに
降り立ちました”片山さん

高橋片山さんとはほんとうに不思議なご縁ですよね。初めて出会ったのはパリ。1986年の2月のことでした。

片山もう31年も前のことですか。

高橋僕は当時、オルセー美術館の開館準備室に客員研究員として1年半あまり在籍していて、ちょうどパリの部屋を引き払って帰国するときでした。その部屋を借りにきたのが、片山さんだったんですよね。

片山ええ、ソルボンヌの屋根裏部屋。家賃は3700フラン(当時のレートで約9万3000円)でした。僕はあの時、カーレースをやりたいという気持ちだけで、生まれて初めて飛行機に乗ってパリに行ったんです。アン・ドゥ・トロワさえも知らなかったのにね(笑)。それで知り合いの写真家の方から、当時館長が住んでいらした部屋を紹介されて……。

高橋そうそう。その時、僕は片山さんのことを何も知らなくて、寒い冬のパリなのに、とても軽装の若者が現れて、車関係の仕事をしたいからパリに住むなんて言うじゃないですか。「パリは寒いですね~」なんて屈託なく笑う姿を見て、心配になっちゃって、僕、たしか自分が着ていたバーバリーのコートをあげたんですよ。「もう帰国するから、どうぞ」って言って。

片山ええ、そうです。僕、あのコート、ずっと愛用していたんですよ。じつはそのコートを着てポン・ヌフの上で撮った写真が写真集に収められたこともありました。

“僕、あのとき、のちのF1ドライバー
「カミカゼ・ウキョウ」にすごい暴言を
吐いてるんです”
高橋館長

高橋そうなんですか!?それは見てみたいなぁ。僕、あのとき、のちのF1ドライバー「カミカゼ・ウキョウ」にすごい暴言を吐いてるんですよ。

片山えっ? そうでした?

高橋ええ。車関係の仕事をしていて、運転しているってうかがったから、こっちは左ハンドルだけれど大丈夫ですか?なんて聞いたんですよ。これ、嘘みたいだけれど本当の話。いつか片山さんのファンにこの話をしたいと思っていたんです(笑)。石を投げられそうですけれどね。でも、片山さんは怒りもしないで「ええ、大丈夫ですよ」って答えてくれた。いや~、失礼しました。

片山いえいえ、だって、カッコつけて車関係の仕事をしているなんて言ってましたが、そのときは仕事になんてなっていませんでしたから。ラリーの取材に来ているカメラマンの方の運転手をしたりして、なんとかしのいでいた時代です。ほんとうに貧乏でした。

高橋パリにはどのくらいいらしたんですか?

片山足かけ10年住みました。あのソルボンヌの部屋には2年半暮らして、その後はモンマルトルのサクレ・クール寺院のすぐ裏にも住みました。F3000に移ったときには、ピガールにも。そうそう、ムーラン・ルージュのすぐそばでしたよ。

高橋モンマルトル、ムーラン・ルージュとくればトゥールーズ=ロートレックですね(笑)。今回の館長対談で片山さんにお声掛けしたのは、今秋から開催予定の「パリ・グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」のお話をぜひしたいなと思ったからなんですけれど……。でも、そこにはもう一つの偶然の出会いがあったんですよね。

片山そうそう、あれはほんとうにビックリしましたよ (笑)。

高橋じつは少し前に、僕が半蔵門のイタリアン・レストランで知人と食事をしていたとき、彼が昔かかわっていたF1の話になったんです。それで僕が何げなく片山さんとのパリのエピソードを話していたら、なんとそこに、当のご本人、片山さんが現れた!

片山しかも、館長と食事をされていた方は、僕が全日本チャンピオンになったときからお世話になっていた、僕もよく存じ上げている方だったという。

高橋それが31年ぶりの再会。仰天しちゃってね。もうこれは天啓だ!と思って、今回、対談のお相手にご指名させていただいたというわけです。

片山館長から声を掛けていただいたら、問答無用に「御意」とお返事するしかありません(笑)。でも冷静に考えたら、芸術って、僕のような肉体労働者とは正反対の世界のことなので、今日はドキドキしながらうかがいました。

高橋いや、そんなことないですよ。いま、片山さんは精力的に自転車競技に取り組んでいらっしゃるけれど、ロートレックのポスター作品に《シンプソンのチェーン》というのがあるんです。自転車とチェーンを製造するシンプソン社のために制作されたポスターです。ご存知でしたか?

片山ええ。チェーンの形が違うといって、却下されてしまったポスターらしいですね。友人の受け売りですけれど。でも、今回こうした機会をいただいて、ロートレックのことを一夜漬けで、少しだけ調べてみたんです。彼が活躍した19世紀後半は、1896年にアテネで第1回近代オリンピックが開催されて、そのときすでに自転車競技もあったんです。その7年後の1903年には、ツール・ド・フランスが始まっています。そして、1900年には、第2回オリンピックが開催されますが、その少し前には、ロートレックはゴッホと一緒にキャバレー通いにハマっていたと知って、時代が違っても人間は変わらないんだなと。へんな親近感を覚えたりして(笑)。

高橋この《シンプソンのチェーン》が制作されたのは1896年。まさにアテネ五輪が開催された年ですね。

片山当時の自転車をイタリアまで見に行ったことがあるんですが、すでに3段ギアがついていて、原型はいまとほとんど変わっていないんです。車ははるかにその後ですし、F1の開催もその後。だから、いまでは僕は「どうだ自転車はすごいだろ!」と言っているんです(笑)。

高橋この頃はパリに空前の自転車ブームが到来して、女性も乗り始めたんです。19世紀の終わりから20世紀初めにかけては、現代につながるさまざまなものが生まれてきたとても面白い時代でした。ちなみに旧三菱一号館の建物も1894年に完成しています(笑)。