みどころ
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みど
ころアメリカ建国250周年記念の年に、
スミソニアン国立アジア美術館の
コレクションが里帰り
小林 清親《東京新大橋雨中図》
明治9(1976)年
スミソニアン国立アジア美術館
Kobayashi Kiyochika / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection, S2003.8.1102アメリカ合衆国の首都・ワシントンD.C. に位置するスミソニアン博物館群のひとつである国立アジア美術館から、選りすぐりの浮世絵・新版画・写真約130点を借用。アメリカ建国250周年という記念の年に、貴重な日本美術コレクションが、いまだかつてない規模で来日を果たします。
本展に出品される浮世絵・新版画は、ロバート・O・ミュラー(1911-2003)が蒐集し寄贈されたものです。彼はディーラーとして米国に新版画を広める役割を果たした一方で、約4,500 点のコレクションを形成しました。吉田博(1876-1950)、伊東深水(1898-1972)、川瀬巴水(1883-1957)といった絵師たちを含むその新版画コレクションは世界最高峰と目されています。 -
みど
ころ「最後の浮世絵師」小林清親が
みせた
浮世絵最後の輝きとその継承
小林清親《大川岸一之橋遠景》
明治13(1880)年
スミソニアン国立アジア美術館
Kobayashi Kiyochika / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection, S2003.8.1119浮世絵は明治になると文明開化を伝えるジャーナリスティックな役割を得ますが、一方で新しい技術やメディアの台頭により徐々に衰退を迎えることになります。そのような浮世絵の黄昏の時代に、最後の浮世絵師のひとりとして活躍したのが小林清親(1847-1915)でした。彼の作品は薄暮や闇にきらめく光の繊細な表情を描いて「光線画」と呼ばれ、一世を風靡しました。この時代に光についての注目は印象派と軌を一つにする先駆的な視点といえます。
その後失われゆく浮世絵の技術を継承し、新しい時代の版画を創造しようとしたのが版元の渡邊庄三郎(1885-1962)でした。彼は清親の見出した江戸東京にまつわる郷愁を引き継ぎ、絵師や来日した外国人画家たちと協働して新版画の活動を展開します。本展では彼らの手がけた伊東深水の『近江八景』、川瀬巴水の『旅みやげ第一集』、『東京十二題』といった初期のシリーズを取り上げます。 -
みど
ころ明治の視覚を変革した写真と、
伝統的な浮世絵との関わり
小林 清親《海運橋(第一国立銀行)》
明治9(1876)年
スミソニアン国立アジア美術館
Kobayashi Kiyochika / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Gift of Kazuharu Ishida, S2019.2.1光と陰翳によって外界を映し込む写真は、明治の新しい視覚として人々の意識に多大な影響を及ぼします。浮世絵もそれを免れることはできず、写真を意識した表現が様々に試みられました。
当時の日本人の姿や風俗を記録した写真は、それを持ち込んだ外国人たちにとっては好奇の視線の対象でもありましたが、同時に江戸の生活と情趣の貴重な記録でもあります。
やがて文明開化によって失われゆく風景を惜しむノスタルジックな態度は、写真と浮世絵が共有していくことになりました。本展はこうした浮世絵と写真の織りなす複雑な関係を紐解くために、スミソニアン国立アジア美術館と三菱一号館美術館が共同で企画に取り組んだものです。
新版画とは?
明治末期に衰退しつつあった
浮世絵を復興し、
その近代化を図る動向は新版画
と呼ばれました。
新しい技術やメディアのあおりを受け浮世絵製作は衰えますが、一方で外国人には日本趣味の対象として人気がありました。
これを見て、浮世絵の高度な技術を維持しつつ新しい版画を製作すれば、需要が見込めるのではないかと考えた版元が渡邊庄三郎です。
彼は版画に興味を持つ外国人画家や、洋画家や日本画家らに働きかけて、浮世絵研究の成果を踏まえた質の高い実験的な版画製作にのりだします。大正昭和期には他にも版元が現れ、この活動に参加していきました。
「トワイライト」、
タイトルに込められた
意味は?
- 「浮世絵」という産業の時代の変革による黄昏(トワイライト)
- 作品に描かれる黄昏時
(トワイライト)
小林 清親《高輪牛町朧月景》
明治12(1879)年
スミソニアン国立アジア美術館
Kobayashi Kiyochika / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection, S2003.8.1179
浮世絵の最盛期といえば江戸時代後半のイメージが強いのですが、明治時代に入ってそれがすぐに廃れてしまったのではありません。文明開化の様相を描いた開化絵が盛んに制作され、月岡芳年のような最後の浮世絵師と呼ばれる世代も明治期に活躍を続けていました。しかし、銅版画や石版画などの新しい印刷や、写真といった技術、新聞や雑誌といった新しいメディアの勃興により、従来の浮世絵は徐々に衰退し、「黄昏(トワイライト)」の時代を迎えることになります。
本展では、そうした浮世絵黄昏の時期にあって、黄昏に代表される陰翳のなかの光の繊細な変化を描いた絵師・小林清親に焦点を当てます。夜明けや夕暮れ、闇さらには雨や雪景色の光に注目することで、空気のみならず情緒まで捉えることができたのです。それによって彼が描いた東京風景は、それまでの浮世絵とは一線を画す新しさを獲得しました。彼の視線とその表現は後の新版画の絵師たちにも受け継がれ、彼らは清親の成果を踏まえながら、新しい日本の風景を再発見していったのです。
ピックアップ!
最後の浮世絵師小林清親と
新版画のホープ川瀬巴水!
小林清親(1847-1915)
幕臣の家に生まれた小林清親は慶応4(1868)年の鳥羽・伏見の戦いに加わり、幕府滅亡後は剣術で食いつないだのですが、独学で絵を学び絵師を志します。1876年から刊行された『東京名所図』と呼ばれるシリーズにより、江戸情緒を残す東京の景観を移ろいゆく光と陰翳の中に描き「光線画」と呼ばれて人気を博しました。その後、広重『名所江戸百景』に影響を受けた回顧的な風景を描き、さらには日清戦争や日露戦争の際には戦況記録的な錦絵を数多く描きました。錦絵の衰退後は肉筆画を描いて活動しています。
川瀬巴水(1883-1957)
芝区露月町(港区新橋)の糸組物職人の長男として生まれます。戯作者・新聞記者だった仮名垣魯文は伯父でした。画家を志し一時は洋画を学びますが、結局鏑木清方(1878-1972)に入門し巴水の号を授かりました。版元である渡邊庄三郎と出会い、さらに伊東深水『近江八景』に触発されて木版画に興味を抱き、風景版画の制作を開始します。日本各地を旅して写生に基づく作品を数多く発表し新版画の代表的な絵師として活躍しました。かつて海外での評価がむしろ高かったのですが、今日ではその評価が逆輸入されて国内での人気も高まっています。三菱とも関わりが深く、現在の清澄庭園や岩崎小彌太の別邸などを描いています。
スティーブ・ジョブズも
コレクションしていた新版画
井上 安治《銀座商店夜景》
明治15(1882)年 スミソニアン国立アジア美術館
Inoue Yasuji / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection, S2003.8.196
1984年にスティーブ・ジョブズが発表した「マッキントッシュ」の宣伝写真がありますが、その画面には新版画の美人画、橋口五葉《髪梳ける女》が映し出されていました。マッキントッシュの優れたグラフィック性能をアピールするためでしょう。分業による高度な技術の積み重ねがありつつも、画面をシンプルに見せる新版画の美意識をジョブズは愛して収集し、寝室の壁にも飾っていたそうです。とくに川瀬巴水がお気に入りでした。アメリカは新版画の最大の輸出先の一つであり、美しい日本の自然を平明な視線で描いた吉田博や川瀬巴水はとりわけ高い人気を誇ります。
新版画の立役者!渡邊庄三郎
井上 安治《東京真画名所図解 鹿鳴館》
明治16‐明治22(1883-1889)年
スミソニアン国立アジア美術館
Inoue Yasuji / National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection, S2003.8.212
古美術商としてスタートした渡邊庄三郎は、海外流出によって過去の良質な浮世絵が払底し始めていたことや、浮世絵の技術が新しい技術やメディアの影響により衰退の道を辿っていたことを憂えて、浮世絵の復興を志しました。浮世絵にみられる版元、絵師、彫師、摺師らの協働による高い質を維持しながら、新しい時代の版画を生み出そうとしたのです。自ら版元となって、浮世絵に興味を持つカペラリやバートレットといった外国人画家、吉田博といった洋画家や伊東深水らの日本画家たちに働きかけ、浮世絵研究に基づき、新しい技術も加えて世に出された「新版画」は国内外において人気を博することになります。