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ルノワールからナビ派への架け橋 拝啓ルノワール先生展

皆さまこんにちは。
本日は、本展覧会最後に梅原とナビ派との関係についてご紹介します。

「拝啓 ルノワール先生―梅原龍三郎に息づく師の教え」展では、ナビ派の画家の作品も展示されています。それは、梅原がナビ派の画家が教えている画塾に通っていたことが関係しているのですが、そもそもどうして梅原はナビ派の画家が教えている画塾に通うようになったのでしょうか?
梅原龍三郎は1909年2月にルノワールを訪問した後に、同年の6月頃から、パリのルノワールのアトリエやアパルトマンに通うようになりました。ルノワールが描くところを間近に見ることができたばかりでなく、梅原自身が描いた作品をルノワールに見せて、指導を受けることができました。この頃、いくつかの画塾に通ったものの、肌に合わずに中断していた梅原は、どこの画塾に通うべきか、ルノワールに相談をしました。するとルノワールは、アカデミックな指導は有害だが、アカデミー・ランソンは良い先生がいる、という趣旨のことを答えました。

ナビ派の画家ランソンの名前を冠した画塾ですが、ランソン自身はその前年に亡くなっており、アカデミー・ランソンでは、ナビ派の仲間たちが、ランソンの未亡人を助けるために講師をしていたといいます。マイヨールは熱心だった、ドニに声をかけられた(記録上、梅原は最初にドニと会話をしたと思われる日本人画家です)、ボナールは全く姿をみかけなかった等々。ナビ派の画家たちは、今日では美術史上高名ですが、梅原の記録する姿は生き生きと学生を指導し、あるいはさぼって、まるで現在の美術学校の講師のように描写されています。

―三菱一号館美術館では2月から、我が国で初めてとなる本格的なナビ派展が開催されます。次回の展覧会とも関係があるのでしょうか。
拝啓 ルノワール先生展でもナビ派の画家たちの版画が並べられていますが、これは単にナビ派展の予告編ではなく、梅原龍三郎とナビ派の浅からぬ縁故に展示されているものです。拝啓ルノワール先生展の出発点は、梅原とルノワールの交わりですが、出品作はルノワールと梅原龍三郎だけにとどまりません。20点に及ぶルノワールのほかにも、ドガ、ピカソ、ルオー、モネ、セザンヌなどなど、梅原が学び、交友を持ち、そして蒐集した画家たちが広く取り上げられた、展覧会の題名を裏切るかのような、幅広い展覧会です。

梅原の幅広い交わりを全て取り上げていくと、ブログが永遠に続いてしまいますので、最後の最後に、ナビ派の画家たちとの関係のお話で、このブログをしめたいと思います。
チラシ表紙-ブログ用
ナビ派ポスター① ボナール格子柄のブラウス-mini

―梅原とナビ派の意外な関係!展覧会にお越しの際には、こちらにも注目してみてください。
安井さん、ありがとうございました!

◆「拝啓 ルノワール先生」展の過去のブログです。展覧会について気になった方は併せてご覧ください。
<展覧会のタイトルについて>
<梅原が影響を受けた画家たち>
<梅原と留学生活>
<彫刻家のアトリエ>
<梅原の東京進出>
<生きることへの情熱>
<パリスの審判について>

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