「拝啓 ルノワール先生」担当学芸員インタビュー⑤<梅原がルノワールから受けた影響~《読書》を例にして~>
皆さま、こんにちは。
今回は、梅原がルノワールから受けた影響を具体的に説明していきます。
<梅原がルノワールから受けた影響~《読書》を例にして~>
《読書》no.11。まず、本を読むという主題は、ルノワールが1870年代から1880年代、1890年代にかけてたくさん描いています。デュラン・リュエルという有名な画商がいるのですが、彼が所有するプライベートな(ルノワールの)コレクションのあるアパルトマンは、週に一度、一般に公開される日がありました。梅原は何度か予約をして絵を見に行っていることがわかっています。《読書》no.11に描かれている女性の顔だちをみると、ルノワールの描く女性を思わせる部分があるのではないでしょうか。
さらに《読書》no.11は、晩年のルノワールがしばしば用いた、絵の具をうすく溶いて、塗り重ねていく技法が用いられています。例えば、《ピクニック》no.82は、展示の最初に飾られている作品ですが、晩年のルノワールはこういう薄塗の、乾いては塗って、乾いては塗って…を繰り返しています。《読書》no.11をよく見ると、梅原もまた同じ描き方をしていることがわかります。《読書》no.11で見られたこの技法は、晩年の梅原はほとんど用いることはありません。この描き方はルノワールの影響を受けていた時に、集中的にみられるものなんですね。
今回展示している《読書》no.11は、ルノワールの影響を受けたことがわかる作品として大変重要なものであるということが出来ます。ルノワール風の主題で、ルノワール風の技法を使って描かれている作品です。
次回は、京都出身の梅原がなぜ東京でデビューしたのかをご説明いたします。
お楽しみに!
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