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本展の見どころHighlight

新しい感性が生んだもの 1894Visions

英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により、三菱一号館が丸の内の最初のオフィスビルとして建てられた1894(明治27)年、日本は近代化の道を歩き始めていました。
一方パリでは、高さおよそ300mのエッフェル塔が登場し、新しい時代の象徴となっていました。
本展は1894年を軸に、西洋と東洋、油絵とリトグラフ、芸術と工芸という古いカテゴリーを超えて育まれた新しい感性の芸術家のヴィジョンを通して、躍動する時代の息吹をご紹介いたします。

充分に見た。ヴィジョンはあらゆる大気に見いだされた。
充分に持った。街のざわめき、夕暮、また太陽の下、
いつも変わらず。
充分に知った。人生の中断。
—《ざわめき》と《ヴィジョン》よ !
出発だ、新しい愛情とひびきのなかへ !—アルチュール・ランボー、1892年*2

Assez vu. La vision s'est rencontrée à tous les airs.
Assez eu. Rumeurs des villes, le soir, et au soleil,
et toujours.
Assez connu. Les arrêts de la vie.
― O Rumeurs et Visions !
Départ dans l'affection et le bruit neufs !—Arthur Rimbaud, 1892

「パリ、活力と進歩の未来の街(……)、パリ、灯台の街、
思索と芸術の両者において、世界を2倍に照らす」
ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)のペンは
幻を描いているのだろうか。
パリ、灯台の街 ! その通り(……)
パリは異邦人の心を虜にする。
人は喜びに酔い、光に幻惑される。
パリは長い間、世界を魅了してきたのだ !—出典未詳の言葉。マルティーヌ・シャザルによる引用*1

“Paris, ville de l'énergie, du progrès, de l'avenir... Paris,
ville-phare éclairant doublement le monde, du côté de la pensée et du côté du l'art”. La plume de Victor Hugo (1802-1885) est-elle visionnaire ? ...
Paris, ville-phare ! oui [sic.] ...
Paris, captive les étrangèrs. Il s'y grisent de laisirs.
Ils s'y éblouissent de lumière...
Paris fascine le monde... depuis des années ! ...—Source inconnue cité par Martine Chazal

さあ、見てごらん。するとたちまち世界は
(世界は一度にかぎり創造されたわけではない、
独創的な芸術家が出現したのとおなじだけ
創造されたのだ)、われわれの目に、
古い世界とはまるでちがって見える、
しかも完全にはっきりと見える。—マルセル・プルースト、1921年*3

Maintenant regardez. Et voici que le monde
(qui n'a pas été créé une fois, mais aussi souvent
qu'un artiste original est survenu)
nous apparait entièrement différent de l'ancien,
mais parfaitement clair.—Marcel Proust, 1921

  1. *1マルティーヌ・シャザル、坂上桂子訳「光の詩─シャルル・ジャコー」 Martine Chazal, « Poésie de la lumière Charles Jacqueau »,
    『パリ─1900 ベル・エポックの輝き』(展覧会用図録) 千足伸行監修、RKB毎日放送、2003年、p.229-230
  2. *2アルチュール・ランボー『ランボー全集 個人新訳』鈴村和成訳、みすず書房、2011年、p.282
    Arthur Rimbaud, Départ dans Poèmes : Les Illuminations, Une Saison en enfer,Léon Vanier, 1892, p.42
  3. *3マルセル・プルースト『第三篇 ゲルマントのほう II』「失われた時を求めて」 第5巻、井上究一郎訳、ちくま文庫、1993年、p.31
    Marcel Proust, A La Recherche Du Temps Perdu VII Le Côté de Guermantes,Gallimard, 1921, p.185
  • Chapitre 119世紀後半、
    ルドンと
    トゥールーズ=ロートレックの周辺2e moitié du XIXe siécle : Odilon Redon, Toulouse-Lautrec et Leurs temps.モロー、ミレー、ピサロ、ルノワール、モネ、セザンヌ

    1874(明治7)年に第1回が開催された印象派展には、ルノワール、モネ、シスレー、ピサロ、ドガそしてセザンヌが出品していました。印象派の画家のうちでも特にドガとピサロは、版画に強い関心を抱いていました。19世紀末に急増した、版画を絵画と同等の表現手段として評価する芸術家は、画家=版画家と呼ばれていました。ピサロはこの時代の画家=版画家の典型的な画家で、ゴーギャンに対して絵画の手ほどきをしています。ルドンとトゥールーズ=ロートレックも作風を確立するまでの間は、印象派の画家たちの影響を受けています。

    • ピエール=オーギュスト・
      ルノワール
      《長い髪をした若い娘
      (あるいは麦藁帽子の若い娘)》
      1884年 油彩/画布 
      55.6×46.0cm
      三菱一号館美術館寄託

    • クロード・モネ
      《草原の夕暮れ》
      1888年 油彩/画布 
      80.2×80.5cm
      三菱一号館美術館寄託

    • カミーユ・ピサロ
      《窓から見たエラニーの通り、
      ナナカマドの木》
      1887年 油彩/画布 
      55.7×46.0cm
      三菱一号館美術館寄託

  • Chapitre 2NOIR—ルドンの黒noir d'Odilon Redonオディロン・ルドン

    オディロン・ルドンは、フランス南西部の港湾都市ボルドーで生まれ、遠縁の親戚が管理していたブドウ園ペイルルバードで育てられました。ルドンの「黒」とは、主に木炭で描かれた作品群を指します。夏場には明るい日差しが室内の陰と強烈なコントラストを見せる、決して肥沃とは言えない土地ペイルルバードで描かれています。ペイルルバードこそが、動物と植物、夢と現実、意識と無意識が交錯するルドンの独自の表現が開花する、「黒」の揺籃の地でした。

    • オディロン・ルドン
      《曲がりくねった樹》
      制作年不詳 木炭/紙 
      43.2×35.2cm
      岐阜県美術館蔵
      前期

    • オディロン・
      ルドン
      《沼の花》
      1880-85年 木炭/紙 
      51.2×35.0cm
      岐阜県美術館蔵
      後期

    • オディロン・ルドン
      《絶対の探求…哲学者》
      1880年 木炭/紙 
      43.2×35.2cm
      岐阜県美術館蔵
      前期

    • オディロン・ルドン
      《顕現》
      制作年不詳 木炭/紙 
      46.2×33.0cm
      岐阜県美術館蔵
      後期

  • Chapitre 3画家=版画家
    トゥールーズ=ロートレックToulouse-Lautrec,“peintre-graveur”アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

    トゥールーズ・ロートレックが絵画を学んだアトリエは、パリのセーヌ川の北側、右岸にありました。右岸のモンマルトルにアリスティッド・ブリュアンがル・ミルリトンというキャバレーを開店すると、ロートレックはこの店の常連となり、夜の街に入り浸るようになります。ジョワイヤンが勤めるブソ・エ・ヴァラドン画廊から注文を受けた《ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉》と《ムーラン・ルージュのイギリス人》は、いずれも当時版画愛好家の間で流行していた、書斎などの壁に飾るための小型のポスター(装飾パネル)として限定販売されました。ロートレックのポスターを、最新流行の形で出版するアイデアは、ジョワイヤンの発案と思われます。

    • アンリ・ド・
      トゥールーズ=
      ロートレック
      《ムーラン・ルージュにて、
      ラ・グーリュとその姉》
      1892年 リトグラフ/紙 
      47.4×36.4cm
      三菱一号館美術館蔵
      後期

    • アンリ・ド・
      トゥールーズ=
      ロートレック
      《ムーラン・ルージュにて、
      ラ・グーリュとその姉》
      1892年 リトグラフ/紙 
      66.2×48.1cm
      三菱一号館美術館蔵
      前期

    • アンリ・ド・
      トゥールーズ=
      ロートレック
      《ムーラン・ルージュの
      イギリス人》
      1892年 リトグラフ/紙 
      61.4×48.4cm
      三菱一号館美術館蔵
      後期

  • Chapitre 41894年 パリの中のタヒチ、
    フランスの中の日本1894 : le Tahiti à paris, le Japon en France ; peinture et gravure, art et décorationピサロ、モリゾ、ロートレック、ゴーギャン、ヴァロットン

    1893(明治26)年、最初のタヒチ滞在を終えてパリに戻ったゴーギャンがタヒチの作品を発表したところ、期待したような反応は得られませんでした。自作を理解してもらうにはタヒチの文化を紹介する必要があると考えたゴーギャンは、詩人シャルル・モリスと共に、自身のタヒチの紀行文『ノア ノア』の出版を目指します。『ノア ノア』は挿絵のみが先行して1894(明治27)年の冬に、異国情緒あふれるアトリエで公開されました。
    ゴーギャンと同様に木版画の表現を追究した画家=版画家のひとりに、スイス生まれのナビ派の画家フェリックス・ヴァロットンがいます。ゴーギャンとヴァロットンは他の画家=版画家とともにアンドレ・マルティが企画した『レスタンプ・オリジナル』に参加しています。

    • ポール・ゴーギャン
      『ノア ノア』《マーナ・ノ・ヴァルア・イノ(悪霊の日)》
      1893-94年 自摺り/木版/紙 20.5×35.5cm 岐阜県美術館蔵前期

    • フェリックス・ヴァロットン
      『レスタンプ・オリジナル』《入浴》
      1894年 木版/紙 18.2×22.5cm 三菱一号館美術館蔵前期

  • Chapitre 5東洋の宴Fête Orientale : Artistes Japonais en France au Japon山本芳翠、黒田清輝、藤島武二、青木繁、梅原龍三郎

    1878(明治11)年の万博のためにパリを訪れた山本芳翠は、かつてルドンが学んだアカデミスムの画家ジェロームに師事しました。10年にも及ぶ滞在の後、海軍の巡洋艦畝傍(うねび)が芳翠留学中を運んでいましたが航海中に消息を絶ち、芳翠の滞欧作はほとんどが失われてしまいます。重要文化財の《裸婦》は、現存する数少ない作例のひとつです。
    美術学校で教鞭をとっていた藤島武二はパリとローマに留学中に、《浴室の女》を描いたとされています。ローマ滞在中に藤島は多くの作品を失っており、本作もまた貴重な作例のひとつです。

    • 山本芳翠 《裸婦》
      1880年頃 油彩/画布 83.0×134.0cm 
      岐阜県美術館蔵 重要文化財

    • 藤島武二 《浴室の女》
      1906-07年頃 油彩/画布 
      48.8×32.0cm
      岐阜県美術館蔵

  • Chapitre 6近代—彼方の白光L'aurore de l'au - delàセザンヌ、ルドン、モネ、ルノワール、ドニ、ボナール

    ルドンは1894(明治27)年にはじめて色彩の作品を発表しますが、「黒」の時代に研鑽を積んだ、自然観察に基づく幻想的な表現は、「色彩」の時代になっても受け継がれていきます。ルドンが《グラン・ブーケ》をロベール・ド・ドムシー男爵のシャトーに納めたのは1901(明治34)4月頃、24歳年下のトゥールーズ=ロートレックは、この時すでに精神的にも肉体的にも衰弱しており、同年9月9日に短い生涯を終えています。死後、必ずしも評価されない時代が続きましたが、1922(大正12)年、故郷のアルビに美術館が開館しています。現在アルビのロートレック美術館は、三菱一号館美術館の姉妹館となっています。
    ルドンの亡くなった1916(大正5)年、セリュジエは《消えゆく仏陀—オディロン・ルドンに捧ぐ》を描いて哀悼の意を示しましたが、本格的なルドン展がパリで開催されるのは、1956(昭和31)年になってからのことです。

    • オディロン・ルドン
      《グラン・ブーケ
      (大きな花束)》
      1901年 パステル/画布 
      248.3×162.9cm
      三菱一号館美術館蔵

    • ポール・セリュジエ
      《消えゆく仏陀—
      オディロン・ルドンに捧ぐ》
      1916年 油彩/画布 
      75.0×46.0cm
      岐阜県美術館蔵

美トク美トク