All About MARIANO FORTUNY マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展 Sat. 6 JUL - Sun. 6 OCT., 2019

About Mariano Fortuny

服飾界の寵児マリアノ・フォルチュニは画家であり、写真家であり、染織家であり、舞台美術デザイナーでもあった総合芸術家でした。

マリアノ・フォルチュニ(Mariano Fortuny)1871-1949

1871年
スペイン南部のグラナダで生まれる。
1874年
父マリアノ・フォルチュニ・イ・マエサルが36歳で急死。
1875年
母と姉と共に画家である母方の伯父たちの住むパリへ移る。
1881年
オリエンタリスムの画家バンジャマン・コンスタンの弟子となる。
1886年
15歳になるフォルチュニは写真を撮り始める。
1888年
フォルチュニの馬の毛によるアレルギーを心配し、馬車が通らないヴァネツィアに家族で移住。
1896年
第七回ミュンヘン国際美術展において、ワーグナーオペラ『パルジファル』の一場面を描いた《花の乙女たち》が金賞を受賞する。この年デルフィの遺跡で『デルフォイの御者』が発見される。
1899年
ヴェネツィア・ビエンナーレに初めて参加。スペイン室に絵画1点を展示する。
1900年
間接照明のシステムの特許をヴェネツィアで申請する。ミラノのスカラ座でワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の舞台演出を担当する。
1902年
一時的にパリに住むが、後に妻となるアンリエット・ニグランに出会い、共にヴェネツィアで暮らしはじめる。
1907年
アンリエットの発案で『デルフォイの御者』に着想を得た「デルフォス」が開発される。写真家のアルフレッド・スティーグリッツが「デルフォス」を妹に着せて撮影を行う。
1909年
「デルフォス」に使用されるプリーツの特許をパリで申請し、続けてプリントなどに関する特許も申請する。
1912年
ニューヨークで「デルフォス」やベルベットのコートなどが販売され、アメリカ版『ヴォーグ』誌で紹介される。ヴェネツィアの工房で制作した服飾品を販売するためロンドンとパリに店舗を開業する。
1914年
第一次世界大戦が勃発。翌年から戦争が集結するまでヴェネツィアの工房、ロンドンとパリの店舗も閉鎖する。
1917年
ヴェネツィアのスペイン国副領事となる。
1919年
前年に第一次世界大戦が終結し、ヴェネツィアのジュデッカ島に綿プリント工場の建設を開始。1921年から稼働。
1922年
ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ社と共同開発してきた舞台装置「クーポラ・フォルチュニ」がスカラ座で使用されワーグナーのオペラが上演される。
1924年
デザイナーでクチュリエのジャンヌ・ランバンと知り合いテキスタイルを提供する。
1928年
ニューヨークのマディソン・アヴェニュー509番地の店舗で「デルフォス」など取り扱いを開始。
1936年
フェリーチェ劇場に「クーポラ・フォルチュニ」を設置。
1939年
第二次世界大戦の勃発とともに、工場の生産が停止。その後数年のうちに職人の解雇を余儀なくされ、パリの店舗も閉店する。
1945年
ジュデッカ島の工場が空襲で大きく被災する。第二次世界大戦終結。
1947年
アメリカの代理店経営者の援助により工場での生産が再開。
1949年
5月2日自邸にて没。

フォルチュニの人生

フォルチュニ美術館館長 Q&A