三菱一号館美術館公式ブログ

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2019年8月23日

フォルチュニとの出会いは『JJ』がきっかけ!?
東京ステーションギャラリーの冨田館長が展覧会をご覧くださいました!

「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」展に、ご近所の美術館、東京ステーションギャラリーの冨田章館長がお越しになりました。冨田館長はなんと、今から34年前、1985年にスパイラルホール(東京・青山)で開催された、伝説の「フォルチュニイ」展を取材なさったとのこと(大学院生の時!)。その時に執筆された記事もお持ちくださいました。記事が掲載されたのは、なんと女性ファッション誌の『JJ』!スパイラルの展覧会には80点もの服飾作品が展示されたそうです。そのため、冨田館長は、フォルチュニは完全にファッションデザイナーと捉えられていました。

今回、フォルチュニが手掛けた、絵画、版画、舞台美術、服飾作品、染織作品、写真、日本の影響、現在も作り続けられているテキスタイルなど、すべての作品をご覧いただきました。「面白い展覧会でした!これまで、ファッションデザイナーとしか認識していなかったけれど、制作の領域もとても広く、まさにマルチタレントの人だとわかりました。」、「古い時代のデザインをよく勉強して、過去のものと組み合わせることによって、まったく新しいものを生み出している。芸術家でもあるけれど、プロデューサーのようでもあり、これまでのフォルチュニ像が完全に覆されました。」とご感想をいただきました。

「展覧会に来るまでは、『デルフォス』ばかりがずらっと並んでいても展覧会として面白いかな?と思っていたけれど、それはいい意味で裏切られました。
絵画、デザイン、写真などに囲まれてデルフォスが展示されていることで、デルフォスの存在の良さが際立ち、特徴が見えてくる。今回の展覧会は、フォルチュニの新しい像を提示したことにおいて成功したのではないでしょうか。」と冨田館長。

話は冨田館長が担当され、先ごろ閉幕したばかりの「メスキータ展」に及びました。メスキータは1868年にアムステルダムに生まれ、1944年にアウシュビッツで亡くなり、フォルチュニは1871年にグラナダで生まれ、1949年にヴェネツィアで亡くなりました。実はこの二人は同時代に生きていたのです。そんな事実を頭に入れつつ作品を眺めてみると、「この二人が遺した作品、人生はかけ離れています。フォルチュニは同時代の新しい動向よりは古いもの、個人的なものからインスピレーションを受けていますね。メスキータは美術史をやっている人間としては、時代ごとの変遷が素直に表れていて、とても分かりやすいのですが。メスキータが関わった「デザイン」という視点から見ても、フォルチュニは同時代の他の芸術家たちとは全く違う、独自の路線を歩んでいるように思えます。古いものから学んで制作したけれど、古い感覚に引きずられるのではなく、まったく新しい斬新なものを生み出していますね。そこがすごいところ。新しさが古びない。これがフォルチュニの最もすばらしい部分でしょう。」とおっしゃっていました。

「メスキータ展」もご覧になった方なら、フォルチュニとメスキータが同時代の人ということに驚かれることと思います。冨田館長、大変面白いお話をありがとうございました!

もっと書きたいところですが、本日はここまで。冨田館長のお気に入りの1点については、ぜひまたの機会にご紹介したいと思います。
みなさまも、マルチタレント「フォルチュニ」の全貌をご覧にいらしてください!


【東京ステーションギャラリーの次回の展覧会】
岸田劉生展チラシ

没後90年記念 岸田劉生展
■会期:2019年8月31日(土)-10月20日(日)
■詳細:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html
岸田劉生(1891-1929)は、白馬会葵橋洋画研究所で学ぶなか、いわゆる「後期印象派」といわれたゴッホやマティスらの絵を知り、自らの画を生み出すべく強烈な色彩と筆致による前衛的な油彩画を発表しました。その後も自己の価値観を基準に画道を追求し、若い画家たちへも強い影響を与えました。肖像画も、静物も、風景も、そして麗子も、日本近代史上孤高の存在ともいわれる岸田劉生の芸術をこの機会にご堪能ください。

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