上野リチが大切にした「ファンタジー」とは?
前回の記事では、本展覧会の主役、上野リチ(上野リチ・リックス(Felice [Lizzi] Rix-Ueno, 1893-1967)は、ウィーン生まれのオーストリア人で、ウィーン工房で活躍したデザイナーであるとお伝えしました。
彼女はウィーン工房の第二世代のデザイナーで、のびのびとした線と絶妙な色彩を組み合わせたデザインが特徴です。第2回となる今回は、展覧会名にも使われている「ファンタジー」の意味をご説明します。
第二次世界大戦後の1951年、リチは京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)美術学部図案科の講師となります。70歳で大学を定年退職した後は、インターナショナルデザイン研究所(後の京都インターアクト美術学校)を設立、夫の伊三郎とともに、晩年までデザインの教育を続けました。長年、京都でデザイン教育に携わったことから、京都では教育者として知られる存在となっています。
1962年にリチは、東京・日比谷にある日生劇場地下のレストラン「アクトレス」のために壁画をデザインしました(1990年代半ばに撤去)。この壁画を、当時教えていた学生4名と共に描いています。
「リチ先生」と一緒に壁画を描いた当時の学生によると、学校ではなかなかの熱血指導を行っていたようです。彼女は学生に、デザインには「ファンタジー」が大切、ということを度々説き、試験や授業中、学生が「ファンタジー」のある作品を制作すると、熱心に褒めたということです。
リチがデザインした日生劇場のレストラン「アクトレス」内装(京都国立近代美術館 『京都国立近代美術館・所蔵品目録VII 上野伊三郎+リチ コレクション』、2009年、182頁)
さて、前置きが長くなりましたが、リチのいう「ファンタジー」とは何を意味するのでしょうか?
上野リチ《化粧ポーチ・デザイン(1)》1935-44年頃 京都国立近代美術館蔵
ドイツ語のファンタジー(Phantasie)という語を独和大辞典〈第2版〉(小学館)で引くと、「空想力、想像力、空想[の産物]、幻想」といった説明が出てきます。日本語の「ファンタジー」が表す意味と凡そ同じです。
しかし、リチの意図した「ファンタジー」は、空想、幻想、といった意味合いから少し離れたところにあったようです。当時の学生の証言によれば、少しでも他人の影響の見えるデザインには、強い調子で「ノー!!!」と言ったり、絵を裏返して教室を出てしまったり(!)、といったことがあったのでした。
反対に、独自性のある作品には「ファンタスティーック!!」と激賞したとのこと。
当時の学生の証言によると、「誰かの真似ではなく、独自性を大切にして、自分の頭の中にあるものから創造しなさい」というのが「ファンタジー」の意味するところであったようです。私たちが「ファンタジー」と聞いて想像する印象とは少々異なりますね。
上野リチ《プリント服地デザイン:ボンボン(1)》1925-35年頃 京都国立近代美術館蔵
さらに、「ファンタジー」の語源を紐解いてみると、もともと古代ギリシャ語由来であり、「想像力」などのほかに「出現」などをも意味していました。少し時代を下ると、「先を見通す」、「光をあてる」といった意味もあったようです。
「創造」、「独自性」を意味する語はゲルマン系由来の単語にもありますが、リチは敢えて「ファンタジー」という語を使っています。
ウィーンでも裕福な、学問を大切にする家庭に生まれたリチは、ギリシャ語やラテン語といった古典語も学んでいたはず。ですから、彼女のいう「ファンタジー」は、この言葉に含まれる柔らかな雰囲気も含みながら、他人に影響されるな、想像力を発揮して、自分の頭の中からデザインを出現させよ、といったことだったのかもしれません。
リチが度々口にしたという「ファンタジー」。
この言葉は彼女にとって、デザインを生み出すという、デザイナーにとって最も大切で根源的なことに関わる、強い思い入れのあるものなのです。
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