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「上野リチ」をご紹介します!/2022年春に世界初の回顧展開催!

三菱一号館美術館では、2022年・春に「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」展を開催します。

本展覧会の主役、上野リチ(上野リチ・リックス(Felice [Lizzi] Rix-Ueno, 1893-1967)とは何者でしょう。
上野?、ウィーン??、ファンタジー???展覧会名からして謎だらけの印象でしょうか?
初めてこの名前を耳にする方も多いだろうと予想はしていたものの、試しに当館の公式ツイッターでアンケートを取ってみたところ、彼女をご存じの方はほぼゼロでした。

上野リチは、テキスタイルなど、特に平面デザインを得意としたデザイナーです。
今回の美術館ブログは、知られざるデザイナー、上野リチについてご紹介したいと思います。

上野リチ《壁紙「花園」》1928年以前 京都国立近代美術館蔵[/caption]

上野リチ(1893 -1967)。彼女のもともとの名前はフェリーツェ・リックス(Felice Rix)。ウィーンに学び、国際的に活躍した女性デザイナーです。「上野」とあるので、日本人の女性と思われたかもしれませんが、リチは、ウィーン生まれのオーストリア人。裕福な家庭に生まれ、長じてウィーンの工芸学校に入学、ウィーン工房のデザイナー、ヨーゼフ・ホフマンらに学びました。
工芸学校卒業後は師に誘われてウィーン工房のデザイナーとなります。ウィーン工房で働いていた時、同じく工房に在籍していた京都出身の建築家、上野伊三郎と出会って結婚し、上野=リックスと名乗るようになりました。リチというのは、フェリーツェのドイツ語での愛称「Lizzi(リッツィ)」を日本語式に「リチ」と発音したものなのです。

結婚したリチと伊三郎は、1925年に二人で京都に移り住みます。彼女は京都に定住したのちも、ウィーン工房所属のデザイナーとして、デザインを発表し続けました。1930年代、戦争の足音が近づく中でも、夫伊三郎と共に生涯を送った京都、また伊三郎と共に赴き嘱託として勤務した群馬・高崎で、デザイナーとして活躍します。
戦後は教育者として、美術大学や伊三郎と共に設立した美術学校で、後進の育成に努めました。

リチが得意としたのは、明るい色彩とのびのびとした曲線を用い、草花や鳥や魚などの動物、キャンディーなどの身近なものをモチーフとして組み合わせたデザインです。テキスタイルや壁紙など、多くのデザインを手がけました。刺繍の手袋やハンドバッグなど、女性が使う服飾小物のデザインもあります。いずれも生活に密着した、日々の暮らしを明るく彩る品々のためのものでした。ウィーン工房には多くの女性デザイナーが所属し、活躍していましたが、リチのデザインは特に人気があったといわれています。

上野リチ《スキー用刺繍手袋デザイン》1935-44年 京都国立近代美術館蔵

京都では、有線七宝や西陣織などの工房に出入りし、エナメル(七宝)の小箱や飾り板、絣(かすり)など、日本の工芸の影響を受けた作品も残しました。建築家の夫伊三郎が設計した個人宅、やインテリアも含めた、ホテルやバーの内装をも手掛けてもいます。
東京では、日比谷にある日生劇場のレストラン「アクトレス」の室内装飾にも携わりました。(残念ながら1990年代に撤去されています。)

上野リチ《マッチ箱カバー[紳士]》1950年頃 京都国立近代美術館蔵

ところで、当館の前身である旧三菱一号館は、1894年に竣工、1968年に解体されています。つまり、リチは1893年に生まれ、1967年に亡くなっていますから、旧三菱一号館とほぼ同じ時代を生きたデザイナーなのです。彼女のデザインを知ることは、旧三菱一号館の時代のデザインを知ることにつながるわけです。2022年2月18日に開幕する「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」展では、ウィーンのオーストリア応用芸術博物館、ニューヨークのクーパー・ヒューイット スミソニアン・デザイン・ミュージアム、そして京都国立近代美術館を中心とした国内外の美術館から、250点を超える作品が集まります。上野リチによる数々の作品を通して、彼女の手がけた、日々の生活を彩るデザインの魅力を楽しんでいただく予定です。

上野リチ《イースター用ボンボン容れのデザイン(2》1925-35年 京都国立近代美術館蔵

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