「ルドンー秘密の花園」展に寄せて 後編
しかし、この《グラン・ブーケ》がはじめて一般の人々の目に触れたのは、日本ではなく、パリにおいてでした。購入契約は2010年8月に結ぶことができたのですが、日本に輸送される前の2011年3月に、パリのグラン・パレで開催されたルドンの大きな回顧展「オディロン・ルドンー天空の王者」展に他の15点とともに出品されたのです。
しかし、まだドラマが待っていました。私がその開会式に日本から出席しようとしていた矢先、あの東日本大震災が日本を襲ったのです。福島の原発がクラッシュし、世界中が日本を注視する中、今回の展覧会を担当した安井学芸員と一緒にパリに旅立った私は、いろいろな人から日本の被災状況についての質問を受けながら、展覧会を見たのです…。日々新たな様相を見せるあの未曾有の災害の中、パリのルドンの作品はまず前半は黒く、不気味に光彩を放ち、そして後半は色彩に満ちて、馥郁(ふくいく)とした香りに包まれていました……。そして我らが《グラン・ブーケ》はドムシー城の空間を再現するかのようなしつらえの中、神々しく輝いていました。
そしてその後、日本に運ばれ、震災後僅か一年にも満たない2012年1月に公開された「グラン・ブーケ」の前では、まるで雷に打たれたようにひたすら画面を見つめ続ける人、頭を垂れて祈るように佇む人、さまざまな思いでこの絵と向き合う人々の姿を見たことが忘れられません。私にとっては、震災の記憶とそこからの人々の再生の姿が重なり合うのがこの作品なのです。
さらにまた、ルドン自身の画業の中でも、この作品の位置は重要です。前半生の黒い作品群から次第に抜け出しつつあった1890年代のルドン。そのルドンが、新たに絵画と装飾という命題に挑みながら、光と色彩を追求していった最初の大作がこのドムシー城の装飾画連作であり、全体の中心に置かれた画面が《グラン・ブーケ》でした。その主題は、「樹木」と「花」に絞られます。幼少の頃より、故郷ボルドー地方の寒村ペイルルバードで自然に触れたルドンが、最終的に立ち戻っていったのが、彼の原点を示すようなこのテーマでした。最晩年ルドンは、南フランス・フォンフロワッド修道院図書室の大装飾画《昼》、《夜》において花々を散らした大構図を描きあげますが、そこに到る道程の出発点がこのドムシー城連作であったことは見逃せません。
いみじくも「秘密の花園」と題されたこの展覧会において、なかんずく「ドムシー城連作装飾画」を通じて、色彩に寄せるルドンの深い愛情と自然への静かな感情を味わっていただければ、これに勝る幸せはありません。
三菱一号館美術館館長
高橋明也
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