<歴史資料室で開催中!「アートアワードトーキョー丸の内2016」で三菱地所賞を受賞した吉田桃子さんインタビュー①>
皆さま、こんにちは。現在 三菱一号館 歴史資料室では「アートアワードトーキョー丸の内2016」三菱地所賞受賞者吉田桃子さんの個展「scene UKH ver.3」を開催しています。吉田さんご本人に作品や展示について、お話をお伺いしましたのでご紹介していきます。(聞き手:三菱一号館美術館 学芸グループ長 野口玲一)
―まず、音楽映像から作品を制作するようになった経緯を教えてください。例えばカンディンスキーなど、音楽を絵画化する人はいますが、そこに映像を介在させて絵画にするという方法は現代的で、あまりないように思います。
そうですね、音楽についてはよく言われます。
音楽を聴きながら映像を想像するのは、子供時代からずっと続けてきました。
私は趣味で漫画を描いているのですが、それが実写化されたような形で、映画やドラマのオープニング、あるいはプロモーションビデオのように動いて欲しいという願望があります。音楽はその架空の動くイメージを誘うきっかけのようなものです。カンディンスキーのように音そのものが重要なのではなく、音楽は過程にすぎません。
1曲の時間が3分から5分というその短かさが、私にとっては重要だと思います。あまり集中力がないので、3分程度がちょうど良いのです。自分の好きな音楽が、世界から自分を遮断してくれるのです。
―音楽の物語やストーリー性を、絵の中に持ち込みたいという感覚なのでしょうか。
それは少し違っています。音楽のストーリー性というよりは、自分の妄想上のキャラクターの心理状態を抽象的なイメージに変えていって、その世界のオープニングテーマ?というか、妄想全体の縮小版として凝縮させています。絵の中にストーリー性はほとんどありません。
―映像がもつ高揚感やライブ感といった、感覚的なものを表現したいということでしょうか。
そうですね、そのような部分もあると思います。絵にする前に、映像を撮るというプロセスがあるのですが、自分の高揚したイメージを、一度変化させるというという事も大事だと思っています。
もともとの漫画や妄想の世界から距離をとっていき、最終的に作品となるときには、最初のイメージは自分からとても遠いものになっています。
―イメージを相対化するということでしょうか。
自分の最初の表現からあえて距離をとることによって、はじめて他人が入ってこられる余地が生まれると思います。最初のままだと、元が漫画なので同人誌的なものになってしまう。同人誌はアートとは方向性が違うと思うので、広く共有できる状態にしたいのです。
―広く共有するために、絵画という形式が必要という事でしょうか。
そうですね。
―絵画の分野では、描くには困難な表現に挑戦することが歴史的に行われてきました。たとえば光を描くことであったり、時間を表現することであったり。高揚感や感覚的なものを描くというのは、そのような挑戦ではないでしょうか。
そのような面はあると思います。実際、動画を撮影したほうが早いと感じることは多いです。例えば、光も動画だったらそのまま写すことが出来るけれど、絵画で光を表現することはとても難しいです。
◆歴史資料室での吉田桃子さんの個展「scene UKH ver.3」概要はこちら
次回へ続きます。
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