「拝啓 ルノワール先生」担当学芸員インタビュー④<彫刻家のアトリエ>
皆さま、こんにちは。
本日は彫刻家のアトリエのことを中心に、梅原のこだわりもご紹介して参ります。
※「拝啓 ルノワール先生」を担当している、学芸員の安井裕雄に展覧会についてインタビューを行ったものです。
<彫刻家のアトリエ>
ちなみに、彫刻家のアトリエは画家のアトリエと違って、壁は薄い灰色が多いのです。もののシルエットがしっかり見えるよう、立体感が解りやすいように、グレーがかっています。グレーの壁によって、特に曇った日は紫外線が目に届きやすくなり、物の色が青みがかって見えます。今回出品されている梅原が高村のアトリエで描いた絵は、その視覚的な印象を強く出して描いたのではないかと僕は思っていて、実際そのように評論されてもいます。
また「自由はあるけれども、お金に困っている」という状況の芸術家たちは青を使いたがるという傾向があるようです。ピカソの場合は友人、カサヘマスが自殺した時、大変衝撃を受けて1905年くらいまでだったかと思いますが、青が主調色でした。「ピカソの青の時代」と呼ばれる時期です。青春の特権でしょうか、梅原もそのような、哀愁を帯びた、強い表現力をもつ作品を描いています。
《少女アニーン》no.4は、モデルが誰か解っています。引っ越した先の下宿の御嬢さんでした。彫刻家のアトリエの空間の光のせいかもしれませんが、この少女の目はブルーアイですよね、よく見ると。そしてこれは不思議なのですが、梅原の描く絵って、しっかりと髪型が描かれています。こちらの《横臥裸婦》no.3でもそうなのですが、カチューシャのようなものまで描かれ、会場に行って実際に見て頂くとよく解ります。
梅原はモデルの服や装いに関心が強いんです。《パリー女》no.5この人は顔が描かれていないですよね?頬杖をついていることはわかりますが。彼の興味の関心は帽子だったと思うのです。この帽子の飾りとか。ブルーがかった白い襟元が見えていて、金のチェーンや、ブローチがついていることもわかります。描かれている深い赤の壁紙なんかにも興味があったと思います。
《自画像》no.8に絵の中に描かれているのは、サスペンダーですが当時の流行のスタイルで、かなりお洒落な装いです。ネクタイも「よろっと」していて、わざと襟を立ててネクタイをつけるスタイルも当時流行っていたものでした。このような部分にも彼自身のこだわりがよく出ています。
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