三菱一号館美術館公式Twitterのご紹介「画鬼・暁斎」展100問ツイートアーカイブ(問51~問75/展覧会について②)
皆様こんにちは。
100問ツイートの続きです。
【問51】「日本美術院」って何でしょう。
【答51】日本画の公募展「院展」を主催しているのが公益財団法人の日本美術院です。
東京美術学校長の職を退いた岡倉天心が日本美術の発展のため、明治31年7月、同じく東京美術学校を辞職した
橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らと創設した研究団体です。
詳しくは、HPをご覧にになってみて下さい。
◆HPはこちら
【問52】どの様な点に因縁を感じたのでしょうか。
【答52】最後の絵師として江戸の伝統絵画を担った暁斎のお墓と、それを改革して明治の近代日本画を作り上げた
日本美術院が、同じ谷中初音町にあることです。実際に行ってみるまで、気が付きませんでした。
実は、日本美術院には岡倉天心以下歴代の同人が合祀(ごうし)されているのです。
【問53】暁斎とコンドルのお墓は、同じ場所にあるのでしょうか。
【答53】いいえ、コンドルのお墓は東京都文京区・護国寺にあります。
【問54】コンドルの命日はいつでしょうか。
【答54】コンドルの命日は6月21日です。奥さんのくめさんも一緒の立派なお墓です。
ちなみに今回の「画鬼・暁斎」展では、コンドルの肖像画も展示されています。
【問55】コンドルが設計した三菱一号館でコンドルの肖像画がみられるのですね。
【答55】コンドルの設計した暖炉の上に展示されています。肖像画は当館の所蔵作品ではないので、
一号館の暖炉の上にコンドルの肖像画が展示されるという機会は、めったにありません。
【問56】暖炉もコンドルが設計したのですか。
【答56】はい。このコンドルの肖像画が展示されている場所にある暖炉は、オリジナルの一号館が解体された際に
保存していたものです。暖炉の右端の部分が少々かけていますが、それがオリジナルである目印です。
【問57】一号館内にある暖炉はすべて保存されていたものなのでしょうか。
【答57】いいえ。
コンドルの肖像画が展示されている箇所のみオリジナルで、それ以外の場所にある暖炉は復元されたものです。
【問58】「画鬼・暁斎」展では、鹿鳴館内にあった階段の一部が展示されていますが、
この階段はどこに保存されていたのでしょうか。
【答58】東京大学の工学部建築学科が所蔵していたものです。
【問59】鹿鳴館の建物自体は残っていないですよね。
【答59】はい。昭和19年に取り壊されてしまいました。
【問60】鹿鳴館は東京のどのあたりに建っていたのでしょうか。
【答60】現在の帝国ホテルの隣、日比谷公園の向かいにありました。
【問61】鹿鳴館と言えば、最近話題のゲームにも登場するとか。
【答61】今話題の『明治東亰恋伽』(通称:めいこい)の主人公のめいちゃんがタイムスリップして
最初にたどり着くのが鹿鳴館です。
【問62】なぜ「めいこい」についてご存じなのでしょうか。
【答62】「めいこい」が、伊勢丹新宿店とコラボ企画を行ったのですが、暁斎と同時代というご縁で、
イベントの一環として開催されたトークショーに、ブログ「弐代目・青い日記帳」のTakさんと
その時代の画家についてお話をする機会がありました。
【問63】どの様な方に人気があるのですか。
【答63】「めいこい」は若い女性に大変な人気でした。最近は刀剣ブームもあったり、
ゲームの影響力はとても大きいのですね。これをきっかけに、美術に興味を持ったり、
実際に美術館に足を運ぶきっかけとなるとよいですね。
【問64】その鹿鳴館ですが、すでに取り壊されて現存しておりませんので、実物を見ることはできませんが、
階段の他に、何か当時の様子を知ることが出来るものはあるのでしょうか。
【答64】江戸東京博物館の常設展示に鹿鳴館の模型がありますので、実際どのような姿をしていたか気になる方は、
足を運んでみてください。時間帯によっては舞踏会の様子を再現している場面をご覧いただけると思います。
【問65】コンドル本人に関しては、肖像画の他に写真の展示ありますが、
そのなかに和装をしているものもありましたが、なんという作品でしょうか。
【答65】《コンドル夫妻による舞踊 京人形》です。
【問66】映っている人物の説明をお願いします。
【答66】左側に映って京人形に扮している女性は、コンドルの妻くめさんです。
右側に木槌と鑿をもってしゃがんでいるのがコンドルです。
【問67】コスプレのようですが・・・コンドルは何の恰好をしているのでしょうか。
【答67】これは、左 甚五郎(ひだり じんごろう)と呼ばれるは江戸時代の伝説的な彫刻職人に扮した姿です。
【問68】どのような点が伝説的なのでしょうか。
【答68】左 甚五郎の作品はあまりにリアルな為、彼の彫った作品が命をもって動き出したという
エピソードがあります。《コンドル夫妻による舞踊 京人形》もこの逸話を下敷きにしています。
【問69】左 甚五郎の作品とされるものはどんなものがありますか。
【答69】左 甚五郎作といわれる作品は全国各地に100ヶ所近くにのぼり、その製作年間は安土桃山時代~江戸時代後期
まで300年にも及びます。彼については謎が多く、実在していたのかも謎のままです。
腕利きの職人たちの総称として使われていたという説もあります。
【問70】左 甚五郎の作品とされているものはありますか。
【答70】日光東照宮の「眠り猫」や「三猿(見ざる・云わざる・聞かざる)」も彼の作品とされています。
ちなみに、暁斎が左 甚五郎の同じ場面を描いた作品もあります。
【問71】今回の「画鬼・暁斎」展では、展示されていますか?
【答71】いいえ。残念ながら今回の展覧会には出品されておりませんが、千葉市立美術館が所蔵しています。
この4月に展示されていたのですが、また展示される機会があると良いですね。
写真1枚からも建築や絵画だけでなく、日本文化そのものに造詣が深かったコンドルの一面が垣間見られます。
【問72】そういえば、過去に当館で開催した展覧会でも、
彫刻に命が宿るという主題の絵があったような気がするのですが。
【答72】バーン=ジョーンズの作品ですね。彫刻家ピグマリオンが自分の創った作品をまるで生きているかのように
愛するに至り、ウェヌスに祈って救いを求めました。ウェヌスは彼の願いを聞き入れて、彫像に命を吹き込み、
本物の女性にしました。そしてピグマリオンは彼女と結婚します。
【問73】ちなみに映画「マイ・フェア・レディ」もこの作品と関係がありますか。
【答73】はい。このピグマリオン神話は1912年にイギリスの劇作家、バーナード・ショーによって翻案劇化され、
それを基に『マイ・フェア・レディ』のタイトルでミュージカルが制作された後、映画化もされました。
【問74】左 甚五郎とピグマリオンの違いついて教えてください。
【答74】自分好みの女性を創りあげるという題材は共通ですが、左 甚五郎については、彼の技術力の高さを表すために
彫ったものが動き出すというエピソードが用いられ、ピグマリオン神話については作品に対する想いによって、
命を与えられるという違いが興味深いですね。
【問75】情熱によって生命が与えられるということでしょうか。
【答75】そうですね。二人はいずれも作品に対する並々ならぬ情熱があったと思います。情熱という意味では、
暁斎の復興も河鍋楠美さんの情熱によって支えられているといっても過言ではありません。
さて、次回は、河鍋楠美館長についての質問からご紹介いたします!
お楽しみに。
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