アーティゾン美術館に坂本繁二郎作品を貸し出し中です
三菱一号館美術館には久留米の画家、坂本繁二郎(1882-1969)の優品が寄託されています。10月16日まで京橋のアーティゾン美術館で開催されている「生誕140年 二つの旅 青木繁×坂本繁二郎」展に、当館から二点の作品を貸し出しています。
青木繁と坂本繁二郎は二人とも久留米出身、同い年の画家で、同じ高等小学校で学びました。貸し出したのは、夏目漱石が激賞した牛の絵の《うすれ日》(1912年)、そして繁二郎が晩年に繰り返し描いた能面の《壁》(1954年)です。
当時、朝日新聞の記者であった漱石は、大正元(1912)年の第六回文展に出品されていた《うすれ日》を見て『文展と美術』という記事を書いています。その中で、「牛は沈んでいる。もっと鋭く云えば、何か考えている」と記事に書き残しています。漱石は「自分は元来牛の油絵は好まない。その上この牛は自分の嫌いな黒と白の斑である。」と文句を垂れながら、自分をとらえて離さない繁二郎の作品を激賞したのです。
ともに久留米藩士の家に生まれた青木、坂本ですが、青木は東京美術学校に入学、坂本は兄が医者になるために京都の第三高等学校へ進学したために家計が厳しく、東京の美術学校で学ぶ夢を諦め、久留米に残りました。
青木は若くして輝かしい才能を発揮して華々しく活躍し、注目を集めた天才ですが、放浪の挙句、28歳で妻子を残して結核で亡くなるという、劇的な人生を送りました。一方、坂本は、遅咲きの努力家で、東京の画学校で学んだ後、フランスに留学、帰国後は牛や馬などを描いた独特の穏やかな作風が評価されて活躍を続け、87歳で亡くなりました。
この二人の久留米の画家がアーティゾン美術館で取り上げられたのは、アーティゾン美術館の前身であるプリヂストン美術館を創立した石橋正二郎が、久留米の高等小学校時代、坂本の図画の教え子であったという関係性によるものです。坂本繁二郎が石橋正二郎に地元久留米の天才画家、青木繁の作品の収集を進めたのです。そうした理由から、いずれも石橋財団の、旧ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)、旧石橋美術館(現・久留米市美術館)では、坂本繁二郎と青木繁の研究を続け、度々展覧会が行われてきました。
「生誕140年 二つの旅 青木繁×坂本繁二郎」展は、二人の画家の濃密な関係を丁寧に炙り出した、大変見応えのある展覧会です。会期も残り僅かとなってきましたので、この機会にぜひご覧ください!本展覧会は、アーティゾン美術館の後、久留米市美術館へ巡回します。
■アーティゾン美術館:https://www.artizon.museum/
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