三菱一号館美術館の魅力


大原美術館館長
高階秀爾

 三菱一号館美術館で開催された多くの展覧会のうちで、特に私の印象に強く残っているものの一つは、2012年に開かれた「シャルダン」展である。

 もともと日本の美術愛好家たちに人気の高い西洋絵画は、パリが「芸術の都」として世界中の若い芸術家たちを惹きつけるようになった19世紀後半から第一次世界大戦までのいわゆる「ベル・エポック」の時代で、具体的には印象派、ポスト印象派からフォーヴィスム、キュビスム、エコール・ド・パリの画家たちの作品であった。

事実、モネ、ルノワール、セザンヌをはじめ、ゴッホ、ゴーガン、マティス、ピカソ、モディリアーニ、シャガールなどは、さまざまなかたちで繰り返し展覧会が開かれ、日本に所在する作例も多くあって、きわめて馴染みが深い。

 それに比べると、18世紀以前、特にフランス革命以前の旧体制時代のフランス絵画は、ほとんど紹介される機会がなかった。

 シャルダンの場合にしても、その名はかなり早くから日本にも知られていたが、実際にまとまった展覧会のかたちで作品に接することができたのは、この時が最初であったろう。 それに加えて、展示状況がシャルダン作品を鑑賞するのにきわめて適したものであったことも、展覧会を成功させた大きな要因であった。

 もともと三菱一号館は、「美術館」として建てられたものではない。 それは明治時代、お雇い外国人建築家コンドルによって設計されたオフィス・ビルである。

美術館として新たに発足するにあたって、その後の改変などをもとのかたちに復元したそれ自体が貴重な文化遺産である。それだけに、建物内の各室、通路などの配置や内装も当初の状態を尊重してもとのままに残してあるので、広い壁面の展示室が連なるホワイト・キューブ型の美術館ではなく、3階奥のやや広めの展示室以外は、小ぶりの執務室仕上げである。

 時には地味な暖炉を持つその部屋の落ち着いた雰囲気は、「静寂の巨匠」シャルダンの静物画にふさわしい。

 シャルダン展のみならず、三菱一号館美術館で開催される展覧会では、宮殿や貴族の邸宅によく見かけるような大構図の歴史画よりも、特に19世紀後半の堅実な市民生活に彩を与えた風景画、静物画、風俗模様を描き出した絵画や工芸作品、そして美術史的にも貴重な習作、下絵、デッサン、版画、さらには関連書籍や写真資料などをじっくりと鑑賞することができる。

 この時代に流行したジャポニスムの様相の特異な一面をよく示す「KATAGAMIStyle」展(2012年)で、それ自体、繊細巧緻な日本の型紙と、それらを用いた染織作品を並べて見せてくれた展示など、今でも忘れられない。

 三菱一号館美術館のこのきわめて特色のある展覧会戦略が、美術館の生命であるコレクションと深く結びついていることも見逃せないであろう。

三菱一号館美術館の魅力

 2012年に開催された「ルドンとその周辺―夢見る世紀末」展で、日本ではじめて公開されたルドンの《グラン・ブーケ(大きな花束)》は、ルドンが残したパステル画としては最大のもので、もともとはフランス・ブルゴーニュ地方のさる貴族の食堂を飾っていたものだという。
 この珍しい大作が日本の美術館の収蔵品となったと聞いたのは、嬉しい驚きであった。 それ以外の三菱一号館美術館のコレクションも、まさしく「夢見る世紀末」と呼ばれるにふさわしい多彩な内容である。

 そのなかではまず、2011年の「トゥールーズ=ロートレック」展で紹介された偉才ロートレックのグラフィック作品群を挙げなければならないだろう。 また、スイス生まれの「ナビ派」の異色画家フェリックス・ヴァロットンの油彩画と多数の版画も見逃せない。

 2014年の「ヴァロットン」展で「冷たい炎の画家」と規定されたこの鬼才は、私が特に好む画家でもあるので、何よりも喜ばしい。そして、何よりも貴重なのは、ロートレック、ボナール、ゴーガン、モーリス・ドニなど文字通り世紀末芸術の優れた旗手たちの手になる版画作品を集めた『レスタンプ・オリジナル』である。

 この版画集の完全な揃いの版というのは、世界的に見ても珍しいものであろう。
 さらに、ニューヨーク在住のジョン&ミヨコ・デイヴィー夫妻が「生活のなかのジャポニスム」というテーマで収集したミントンやロイヤル・ウースター、ルイス・コンフォート・ティファニー、エミール・ガレなどによる豊麗な美術工芸品のコレクションも、作品自体の優れた出来栄えとその資料的価値において、きわめて重要なものと言ってよいであろう。

 これらのコレクションに支えられて、明確な視点に基づく充実した内容を見せてくれた三菱一号館美術館の今後の活動に、いっそう期待したい。

三菱一号館美術館の魅力

【プロフィール】
高階 秀爾
TAKASHINA Shuji
1932年、東京生まれ。
東京大学名誉教授・日本芸術院会員。
東京大学教養学部卒業、東京大学教授、国立西洋美術館館長等を経て現職。
2000年紫綬褒章、01年仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章、12年文化勲章受章。
主な著書に『世紀末芸術』、『 日本人にとって美しさとは何か』(共に筑摩書房)他。