10歳を迎えた三菱一号館美術館に寄せて

       三菱一号館美術館 館長
              高橋明也

2010年4月6日、最初の企画展「マネとモダン・パリ」と共に三菱一号館美術館が開館した日には、まだ、この美術館は、海のものとも山のものとも知れない存在でした。とはいえ、その4年ほど前に上野の国立西洋美術館を辞して丸の内にやってきた私の脳裏には、新しい美術館のイメージはすでにはっきりと形になっていました。

それはつまり、美しく落ち着いた外観を見せる歴史的な建物と、現代のニーズに応えてくれる機能的な内部空間を併せ持ち、活気を呈する市街の中心部にあって、都市生活者の日々の暮らしと深くリンケージする、つまりは、日本の美術館がこれまでなかなか持つことができなかった特徴にあふれる新しい美術館の姿です。

最初にこの美術館の開設計画を聞いた時からすぐに、都市と共にあってそこで働く人々の日常に潤いを与え、生きるうえでの糧となるべき施設が、このように具体的な形で私のなかに生まれていました。

経済・社会活動の第一線で活躍する約28万人を超す人々が働き、国際的にも極めて重要な位置を占める東京・丸の内において、美術館はまさに将来の核となる施設であることが確信できたのです。

10歳を迎えた三菱一号館美術館に寄せて

実際、開館以後毎年3本余り、計31本の展覧会を催してきました。

その過程では、何年にもわたる準備作業があり、また展覧会が開けば、担当者は講演会やレクチャー、新聞・雑誌・テレビ・WEB媒体などの執筆、出演に追われます。必然的に、その間には多くの人々と出会い、コミュニケーションがなされていきます。

そして最終的には、美術家たちが渾身の力で描き出した展示作品の数々が、展覧会の来場者たちの眼と心に密やかに、また雄弁に語りかけていくのです。
実際、こうした無数の出会いと作業の集積を通じて、美術、そして三菱一号館美術館に親しみを感じてくれる人たちは、この10年間どんどん増えていきました。

三菱一号館美術館を訪れる多くの人たちから異口同音に発せられるのは、「素晴らしい展覧会でした」、「生きる力を与えられました」、「ほんとうに美しい美術館ですね」などの、満足感に満ちた言葉です。こうした声を聞くことほど、美術館に働く我々にとって嬉しい瞬間はありません…。

最初は数人しかいなかった当館のスタッフもやがて数を増し、現在では25人の優れた学芸、広報、普及、マネジメント、施設管理や運営を担当する専従者が常勤するようになりました。さらに、美術館併設の「Café 1894」や「Store 1894」も、ユニークな存在として好評を博しています。

また、美術館の現場で実際に来館者と接している警備・監視会社の従業員の方々の当館への深い理解と、作品と人の安全を守る真摯な応対にもしばしば感銘を受けます。
結局のところ、一つの美術館の高い評価を保証するものは館に関わる人間一人ひとりの努力と総合の力だ、という単純な真理が、この10年間で証明されたような気がする今日この頃なのです。

10歳を迎えた三菱一号館美術館に寄せて

一本一本の展覧会に込められたスタッフそれぞれの思いや、開いた後の反響や成果に関する考えは、さまざまな形でこれからも引き継がれていくものと思いますが、この10年間に丸の内で成し遂げたことに対する私個人の心情を吐露すれば、満足と感謝に尽きます。

トゥールーズ=ロートレックやフェリックス・ヴァロットンの素晴らしい作品群、オディロン・ルドンのパステル画の傑作《グラン・ブーケ(大きな花束)》など、小規模ながら世界に誇れるコレクションの形成を筆頭に、開館前に試行錯誤して決めた方向性のかなりの部分が実現できたように感じているからです。

三菱一号館美術館は、公益財団ではなく、三菱地所株式会社の一部署という、美術館としてはかなり珍しい組織形態を取っています。
とはいえ会社からは、社会貢献的なスタンスを忘れずに、時に温かいまなざしで、一般の会社組織とは異なる美術館独自の使命と特殊性を鑑みていただきました。

そしてまた、作品の輸送・運搬、展示デザイン・施工、作品保全など、当館における展覧会開催に尽力いただいたさまざまな関係者の方々、さらにこれまでいろいろな機会を通じて、当館を支えてくださった国内外の数多くの組織や個人の方々に、この場を借りて深い感謝の意を表したく思います。

これからの美術館の将来がますます輝くようにと願ってやみません。