三菱一号館美術館の10年とジャポニスム


国立西洋美術館館長
馬渕明子

 2010年に開館した三菱一号館美術館が10周年を迎えられるとのことで、本当におめでとうございます。この間、たいへん充実した展覧会企画を次々と打ち出して、その活動ぶりは強く記憶に残るものでした。

 なかでもいくつかのジャポニスムに関わる企画を実現して、この分野の知名度を上げ、研究にも大きく貢献したことは忘れられません。ジャポニスム学会の会長として、これらのご活動に深く感謝いたします。 こうしたなかで、とりわけ重要な二つの企画がありました。 それは2011年の「もてなす悦び」展と2012年の「KATAGAMI Style」展です。

 「もてなす悦び」の核をなした作品群は、ニューヨーク在住のジョン&ミヨコ・デイヴィー夫妻の1870年代から1910年代にかけての茶器や工芸品のコレクションで、縁あって三菱一号館美術館の所蔵になったものです。 約180点にのぼるこのコレクションは、当初はコレクター自身がさほど意識していなかったそうですが、次第にジャポニスムに特化してゆきます。
 これは生活に溶け込んだ美しい器を中心とするもので、言ってみれば時代とジャンルを限っただけで、これほどの日本工芸や装飾の影響が顕著な作品が集まったと言えます。

 それまでジャポニスムの展覧会は、1988年、パリのグラン・パレと東京の国立西洋美術館で行われた「ジャポニスム展」(三菱一号館美術館館長の高橋明也氏と私が学芸担当として関わった)を始めとして国内でもいくつか開かれていて、地域としてはヨーロッパやアメリカの、分野としては絵画、版画、工芸品など、主に美術館がアートとして集めてきたものを展示していました。
 そうした後に個人が自邸を飾り、接客のために集めたいわば生活の中の実用品がこのようなコレクションとしてまとめて美術館に収蔵されたために、ジャポニスムが生活の中で消費されてきた姿を見ることができたわけです。

もう一つの「KATAGAMI Style」展もまた、多くの生活の中の実用品のジャポニスムを紹介する試みでした。 私自身が展覧会の監修グループに参加していたので、客観的評価は難しいのですが、ジャポニスムのデザインの源として染型紙(伊勢型紙)に注目したことは新しい指摘と言えましょう。
 西洋各都市にある装飾工芸美術館が日本から反古同然にもたらされた大量の染型紙を所蔵していることは、幾度かの調査で気づいたことでしたが、それを所蔵する産地でどのように応用されたかを詳細に調べてゆくと、驚くべき大きなデザインの潮流が見えてきたのです。

 その広がりはドイツや東欧、北欧、オランダ、ベルギー、フランス、イギリス、南欧、アメリカなど、ほとんどの西欧諸国にわたっていました。 染型紙の簡潔にして美しいデザインはアールヌーヴォーを始めとする世紀末の装飾工芸運動に大きなインパクトを与えたのでした。
 三菱一号館美術館の19世紀の居住サイズと言える親しみの湧く展示スペースでこの展覧会ができたことは、たいへんありがたいことでした。

 三菱一号館美術館が開館して間もない時期のこれらの重要なジャポニスムの展示の経験があって、その後のいくつかの展覧会でも意識的にジャポニスムに光を当てたものが見られる結果になったのではないでしょうか。
 2014年の「ザ・ビューティフル」展は英国の19世紀半ばから20世紀初めにかけての唯美主義を紹介するものでしたが、生活を美しく豊かなものにすることを目指したこの運動が、いかに日本の装飾やデザインを多く利用したかが顕著に示されました。

 また、同年の「ヴァロットン--冷たい炎の画家」展も、日本でほぼ初めて紹介されるこの画家が、その独特の様式の中で、浮世絵に特徴的な線描に囲まれた面による構成の油彩画や、黒と白の強いコントラストの版画など、日本美術の特徴を生かしつつ、他のナビ派とは異なった斬新な表現を獲得していったさまを示しました。
 担当学芸員の杉山菜穂子氏のエッセイも、彼の所蔵した日本美術品を紹介しながら、日本美術から学んだものに、彼がいかにシニカルな人間批判を付け加えていったかを論じています。

 2017年の「オルセーのナビ派展」もまた、“日本かぶれのナビ”(ナビ・ジャポナール)と呼ばれたボナールを始めとするジャポニスム色濃い芸術家群を紹介する試みでした。
 まだ日本において知名度の低かったフランス近代の重要なこの芸術家グループが、我が国で親しまれるきっかけの一つとなったことは嬉しい出来事でした。それに続く「パリ♥グラフィック」展も、ナビ派に劣らず浮世絵を熱心に研究したトゥールーズ=ロートレックと周辺のポスター作家たちの作品を、当時の市民生活の中でそれらがどのように受容されたかをわかりやすく示した啓蒙的な展覧会でしたが、その中に多くの日本的表現が見られました。

 そして2019年に開催された「マリアノ・フォルチュニ織りなすデザイン展」では、「KATAGAMI Style」展でその重要性を紹介されたこのデザイナーの全作家活動を紹介しながら、日本のデザインやテキスタイルを学んだ資料を豊富に展示することで、彼のインスピレーション源を示してその創作の秘密に迫ったことも、高い評価に値する功績だったと考えます。

 以上のように、この10年間の三菱一号館美術館の多彩な活動の中で、“ジャポニスム”という用語は一つの重要なキーワードであったと言えましょう。
 フランス近代を中心とした一連の展覧会活動の中で、このような“核”、すなわちアイデンティティの形成にも努めながら、豊かな成果をもたらしたこの10年の努力に、深い敬意を表したいと思います。 

三菱一号館美術館の10年とジャポニスム
ティファニー・スタジオ/ルイス・コンフォート・ティファニー
《朝顔型コンポート》
三菱一号館美術館蔵
三菱一号館美術館の10年とジャポニスム
モーリス・ドニ
《ばら色の船》
三菱一号館美術館蔵
三菱一号館美術館の10年とジャポニスム

【プロフィール】
馬渕 明子
MABUCHI Akiko
独立行政法人国立美術館・国立西洋美術館館長、ジャポニスム学会会長。専門は西洋近代美術史。
東京大学大学院修士課程修了後パリ第四大学大学院博士課程で学び、国立西洋美術館主任研究官、日本女子大学人間社会学部教授等を経て2013年より現職。
主著に『美のヤヌス̶テオフィール・トレと19世紀美術批評』(スカイドア、1992)、『ジャポニスム―幻想の日本』(ブリュッケ、1997)、『舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の〈日本女性〉』(NHK出版、2017)等。展覧会監修多数。