そこにいる私 1
最初の記憶

角田光代

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 最初の記憶は何か。
 ものごころついて、意味のある会話ができるようになり、学校という社会的な場所に出ていって、大勢の、自分とは違うだれかたちと接し、「私」が世界の中心ではないと実感しはじめるころ、私たちは質問し合う。他者と自分がどのくらい違うのか、どのくらい似ているのか、知るために。大勢の他者から自分自身を切り離して自覚するために。

 好きなおかずを最初に食べる? それとも最後? おばけっていると思う? 夏と冬とどっちが好き? 死ぬ前に食べたいごはんはなあに? そんな他愛のない質問のなかに、いちばん古い思い出はなあに? というのもあった。

 いちばん最初の記憶は何か――、ねずみと猫のアニメをテレビで見てた。えさをまいたら鳩が私の全身を覆うくらいやってきて、こわくて泣いたこと。デパートの床でひっくり返ってだだをこねた。いろんな答えがあった。嘘か本当か、おかあさんのおっぱいを飲んでいる記憶を持っている子もいた。

 私の場合は、馬だった。白くて大きな馬がじっとこちらを見ている。本物の馬ではない、絵だ。
 それがどこだったのか、覚えていない。どこかの美術館だ。母親が幼い私を連れてよく美術館にいっていたことは覚えている。預けられる人がいなかったのだろう、私が小学校に上がるまで、母は私を連れてデパートにいき美容室にいき、友人の家にいき映画館にいった。私は幼すぎて、また、ふつうの日々すぎて、なぜそこにいくのかという疑問を持たなかった。美術館とデパートは同じ、母の友人の家と美容院も同じだった。つまり、母の欠かせない生活。

 部屋はどこまでもあり、角を曲がっても廊下を進んでも薄暗い部屋が続き、私はひとり、部屋から部屋を歩いていって、そうしてある部屋に入った瞬間、目の前に、大きな白い馬がいて、息が止まるほどびっくりした。それが絵だということはわかるけれども、その馬の息づかいや、体から立ち上るほのかな湯気、草のにおい、そうしたものが伝わってきて、さらに馬はまっすぐに私だけを見ていて、私は動けなくなった。絵なのにそれは生きていて、馬なのにそれは得体の知れないものだった。おそろしくて泣くこともできなかった。

 名前を呼ばれ、背中にあたたかい手が触れて、ようやく私は泣いた。母は私を抱き上げてその部屋を出た。記憶はそこまで。

そこにいる私 1<br>最初の記憶

 みんなが最初に覚えている場面を言い合うとき、私はこのことを言えなかった。なぜだかわからないけれど、恥ずかしかった。馬の絵をこわがった自分が恥ずかしいのではない。そのときは言葉にできなかったけれど、その記憶のぜんぶが恥ずかしかった。それで私はとっさに嘘をついた。おとうさんとおかあさんと公園のボートに乗っているところ。それが私の最初の記憶。私はボートに乗ったことなどなかった。家族というものは、公園のボートに乗るようなものだとも知らなかった。なのに、とっさにそんな嘘が出たのだった。

 やがて中学生になり高校生になり、幼いころの記憶はどんどん遠くなりつつも、以前よりは順序だってくる。馬の絵の記憶のあとに、もっとはっきりした美術館の記憶もあり――混んだ上野の美術館、空を飛ぶ女の人と、踊る男女の不気味な絵、緑の庭がある美術館、クリームソーダを飲んだ――、もっとはっきりした母の友人の家の記憶も――動物の絵がたくさん飾られていて苦いお茶が出る――、いきつけのデパートの記憶も、いき帰りの電車の記憶とつながってきちんとある。となると、最初の記憶がはたして美術館だったのか、あやしくなる。動物の絵がたくさん飾ってあった、友人の家だったのでは? デパートの催事場ということはないか? そのころには、母と美術館は不似合いだと理解している。家には絵の一枚もなく、画集もない。私が学校にいっているあいだに美術館巡りをしているのかもしれないけれど、目録も見たことがない。

 馬の絵を見た記憶があるんだけど、あれは、どこだったんだろう。久しぶりに母親とデパートにいき、休憩のために入ったデパート内のカフェで私は母に訊いてみる。

「馬?」母は怪訝な顔をする。「そんなの、覚えてない」と言ってグラスのビールを飲む。昼間からビールを飲む母をみっともないと思いながら私は質問を重ねる。
「おかあさんのお友だちのおうちによくいったけど、あれはだれだったの? 大きなおうちに住んでいたよね」
「私の学生時代の友だちは、みんな大きなおうちに住んでいるからねえ」母は面倒そうに言い、答える気がないのだと私は悟る。はぐらかしている。教える気がないのだ。それでも私は食い下がって訊いてみる。
「美術館によくいっていたけれど、昔は絵が好きだったの?」

 母はビールを飲み干して私を見て、口の端を挙げて笑う。
「絵をたくさん見せたらあなたが才能を発揮するんじゃないかと思ったの。絵の」

 はぐらかしている。私はふたたび思う。あるいは、私を傷つけるために言っている。十八歳の私は絵に興味を持ったこともなく、翌年の春、私立大学の文学部に進学することが決まっている。

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【プロフィール】
角田光代 作家
1967年神奈川生まれ。
1990年「幸福な遊戯」でデビュー。
2005年「対岸の彼女」で直木賞受賞。
近著に「坂の途中の家」「いきたくないのに出かけていく」等。