エッセイ「新しい私に出会う」

角田光代

人工知能が私たちの趣味を分析して、それに見合ったものを勧めてくる、なんてことは、私が子どものころは考えられないことだった。いやいや、二十代のときだって、近くそんな将来がやってくるとは思いもしなかった。

でも、今ではそれは日常茶飯事だ。インターネットの書店で本を買えば、似たようなジャンルのものを勧めてくるし、動画配信チャンネルで映画を見れば、そのチャンネルが次々とお勧め作品を紹介してくる。
自分の好みは知り尽くしているつもりだが、人工知能に指摘されると意外な気持ちにもなる。私って、こういうものがそんなにも好きなのか……、と。

しかしながら、人工知能は分析の結果だから、あらたな発見はない。自分のまったく関知していない好みを教えてはくれない。その点においては時代が変われど、頼りになるのは自分しかいない。

たとえば、たんなる時間つぶしで入った美術館で、ある絵画の前で動けなくなり、そうしてはじめて自分の絵画の好みを知ることもある。なんの気なしにひとり旅をして、くるおしいほど旅に取り憑かれてしまう。

え、私ってそういう人だったのかとはじめて知らされる。

エッセイ「新しい私に出会う」

そういうことは、ささやかながら毎日起こる。何かを見聞きし、味わい、触れて、自分の心がほんの少しでも動いたとき、私たちはあたらしい自分に出会うことになる。
タクシーのラジオから流れた音楽、はじめて降り立った駅舎の天井、病院の待合室のテレビで見たスポーツ、デパートで見かけたコートの色合い、喫茶店の古めかしいドアベル、友人に誘われていった展覧会。ふと目がいく。いいな、と思う。そして知る。私ってこういうものが好きだったのか。私ってこういうことに感動するのか。

それは人工知能より当然ながら広範囲で、予想外で、予期せずやってくる。心を動かした何かに向かって邁進することもあるし、そのまま忘れていくこともある。忘れてもだいじょうぶ。また、あるときどこかできっと出会うから。

私、というのはすでに完成されているのではなくて、そんなふうに未知なる私と何度も何度も出会って、私になっていくのだと思う。
だからできれば、嫌いなもの、苦手なものではなくて、好きだと思えるもの、きれいだと思えるものを介して、自分自身と知り合いたいと思うのである。

【プロフィール】
角田光代 作家
1967年神奈川生まれ。
1990年「幸福な遊戯」でデビュー。
2005年「対岸の彼女」で直木賞受賞。
近著に「坂の途中の家」「いきたくないのに出かけていく」等。