三菱一号館について

三菱一号館は、1894年に竣工した丸の内初の賃貸オフィスビルです。設計は開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルが手掛けました。煉瓦造地上3階地下1階建で、英国のヴィクトリア朝で流行したクイーン・アン様式を用いています。館内に三菱合資会社の本社が入り、一部は階段でつながった棟割長屋の事務所として一般に貸し出されていました。

三菱一号館の竣工後、馬場先通りの両側には煉瓦造の建築が次々と建ち並び、異国情緒にあふれたそのエリア一帯は「一丁倫敦いっちょうろんどん」と呼ばれました。やがて戦後の高度成長期の旺盛なオフィス需要を背景に、1968年に旧三菱一号館は老朽化のため解体されました。現在の三菱一号館は、2009年4月に三菱地所の丸の内再開発計画の一環で、旧三菱一号館と同じ地によみがえりました。

復元にあたっては、明治期に尺寸で書かれた原設計図や解体時実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査を実施し、創建当時と同じ建築材料を探し求め、意匠や部材だけでなく、部材の製作方法、建築技術までも忠実に再現しています。

三菱一号館について

ジョサイア・コンドル
Josiah Conder (1852~1920)

ロンドン生まれ。サウスケンジントン美術学校とロンドン大学で建築学を学び、権威ある英国王立建築家協会主催のソーン賞設計競技に若くして優勝した経歴を持つ英才。1877年、25歳の時に日本政府の要請により来日しました。 建築家としては、鹿鳴館、ニコライ堂などを手掛け、教育者としては、辰野金吾や片山東熊、曾禰達蔵ら日本を代表する建築家を育成しました。その業績から「日本近代建築の父」とも呼ばれ、その後の生涯を日本で過ごしました。一方、伝統建築、絵画、生け花、庭園、衣装、歌舞伎、踊りなど日本文化の研究者としても知られ、海外への日本文化の紹介にも尽力しました。

三菱一号館について
1894(明治27)年竣工当時の旧三菱一号館
三菱一号館について
昭和期頃、2階南側廊下
三菱一号館について
旧銀行営業室、明治期
三菱一号館について
明治40年代の馬場先通り。 右側手前の建物が三菱一号館