ルドンー秘密の花園

本展の見どころ

ルドンの「黒」

ルドンが生まれたのは1840年、印象派の巨匠クロード・モネ(1840-1926)、近代彫刻の巨匠オーギュスト・ロダン(1840-1917)、そして自然主義の文筆家エミール・ゾラ(1840-1902)と同い年です。
1840年フランス南西部の港町ボルドーに生まれたルドンは、郊外のペイルルバードにあったブドウ園の屋敷に送られ、ここを管理していた親戚の老人に11歳になるまで育てられます。
その後、学業のためにようやくボルドーに戻ります。両親はルドンの画才を伸ばすために、地元の風景画家スタニスラス・ゴラン(1824-1921)のもとに通わせました。
家族はルドンが建築家になることを望みますが、ルドンはパリの国立美術学校の入学試験に失敗してしまいます。その後、歴史画家のジェロームに師事しますが、師の教育方針と全く合わずに挫折、ボルドーに帰ってしまいます。ちょうどボルドーに、放浪の版画家ロドルフ・ブレスダン(1822-1885)が滞在しており、ロマン主義の作家たちから高く評価されていたこの特異な版画家から、ルドンはエッチングを中心とする銅版画の技法を学びました。後にルドンは、木炭画や版画の白黒作品を、愛着を込めて「わたしの黒」と呼ぶようになります。ブレスダンはルドンの画業に大きな影響を与えました。

1861年から1866年にかけてルドンはしばしば仏領バスク地方やスペインに旅行し、岩で覆われた荒涼とした大地や、谷間の風景を描いています。ブレスダンの指導を受け、スケッチから版画制作を試みていますが、当時の刷り数は少なく、《スペインにて》は三枚しか刷られていないといわれています。一枚はフランス国立図書館、一枚はシカゴ美術館が所蔵、最後の一枚は行方不明となっています。

《スペインにて》1865年 エッチング/紙 22.2 (20.0)×15.9 (11.0)cm
シカゴ美術館蔵 The Art Institute of Chicago, The Stickney Collection,1920.1552
The Art Institute of Chicago / Art Resource, NY

ルドンが描いた人間の頭部を持つ植物は、ボルドーの在野の植物学者アルマン・クラヴォー(1828-1890)の影響が指摘されています。クラヴォーは若き日のルドンをボードレール、ポーをはじめとする同時代文学に導き、スピノサやインド哲学を愛好していました。東洋の仏教を含む幅広い世界にルドンが関心を抱くようになったのはクラヴォーの影響によります。ルドンの言葉によれば、クラヴォーは「一日のうち数時間だけ光線の働きによって動物として生きる神秘的な」植物の研究をしていました。
不遇な人生を送ったクラヴォーは1890年に自殺しましたが、ルドンはその死の翌年に80部が発行された石版画集『夢想』を、年上の友人に捧げました。

  • 《『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)』VI. 日の光》1891年
    リトグラフ/紙(シーヌ・アプリケ)21.0×15.8cm 
    三菱一号館美術館蔵

  • 《『起源』II. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》1883年 リトグラフ/紙(シーヌ・アプリケ) 22.3×17.2cm
    岐阜県美術館蔵