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パリ♥グラフィック ― ロートレックとアートになった版画・ポスター展

会期終了まで

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三菱一号館美術館

街中から、コレクターまで。パリが夢中のグラフィック・アート。ポスター好き・版画好き。

text / Yoshio Suzuki

19世紀末、世界の都パリでは新しい都市生活が創造されていた。消費、歓楽、遊興という大衆文化が花開き、その喜びが享受される傍らにはガイドとして版画、ポスターがあったのだ。それらが一堂に会す展覧会が三菱一号館美術館で開催される。展示作品の一部を紹介しよう。

メイ・ミルトン/ロートレック(1895) パリで小さな舞台に出ていた英国の踊り子メイ・ミルトンがアメリカ巡業の際にロートレックに依頼したポスター。青い背景の文字の部分は網点をかけ、品良く仕上げている。(三)

『ラ・デペッシュ・ド・トゥールーズ』紙のためのポスター/モーリス・ドニ(1892) 同紙がどのスタンドで入手できるかを示すポスター。髪に羽根ペンを挿した報道の女神(?)が新聞を広げ、人々がそれを求める。(フ)

アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレーにて/アンリ・ド・トゥールーズ= ロートレック*以下ロートレック(1893) スター歌手ブリュアン。黒い帽子と黒い外套に赤いマフラーが効果的。日本の役者絵のよう。(三)

『ラ・ルヴュ・ブランシュ』誌のためのポスター/ピエール・ボナール(1894)  知的・文化的前衛たちは『ラ・ルヴュ・ブランシュ』誌編集部に集った。描かれた女性は主宰者の一人タデ・ナタンソンの妻ミシア。(フ)

『悦楽の女王』/ロートレック(1892) 好色の銀行家に高級娼婦がキス。ポーランドの作家ヴィクトール・ジョズの連作小説『社交動物園』の一作『悦楽の女王、高級娼婦界の風俗』ポスター。露悪的だが明るい画面。(三)

ラルティザン・モデルヌ/ロートレック(1896) パリに10店舗あった室内装飾会社〈ラルティザン・モデルヌ〉(現代の職人)ポスター。恋わずらいの女性を医者に扮した恋人が訪問。マネ《オランピア》と同構図だ。(三)

シンプソンのチェーン/ロートレック(1896)  英国の自転車とチェーン製造の会社〈シンプソン〉パリ支店広告ポスター。セーヌ川沿いの競技場で5人乗り自転車をシンプソン製チェーンの自転車が追い越す場面を描く。(三)

ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)/ロートレック(1893)   〈ムーラン・ルージュ〉別館で踊り子ジャヌ・アヴリルが有名になるきっかけとなったポスター。大胆な構図は歌川広重「名所江戸百景」の影響とも。(三)

ディヴァン・ジャポネ/ロートレック(1893) カフェ・コンセール(楽団のいるカフェ)〈ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)〉は日本風の内装と着物の店員が売り。画中の客や出演者に有名人を描き、注目された。(三)

ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ/ロートレック(1891) 構図的な割り切り、一枚の中に整理された光と影。繰り返されるアナウンスが聞こえてくるような文字。一夜にしてロートレックの名声を打ち立てた作品。(三)

「フランス=シャンパン」のためのポスター/ピエール・ボナール(1891) 胸を強調した女性の縮れ毛とシャンパンの泡が一体化。ボナールいわく「重要なのは道行く人を支配できるようなイメージを発見すること」。(フ)

19世紀末のパリは、版画・ポスターブームでした。


19世紀末、パリ。新しい時代が到来する予感の中、版画やポスターが芸術になった。人々の欲望と消費をガイドするメディアが収集され、美術が軽快になって広がりを見せた。そんな空気を感じよう。

粋で洒脱なポスター。ちょっと驚かされたり、時に危うい感じもある。ただ、絵を眺めるだけでなく、それが生まれた時代や、その時にその土地で生きた人々の生活や楽しみを知りながら、想像しながら見ると、理解が深まるというものだ。
19世紀末のパリはどんなところで、何が起こっていたか、多くの版画やポスターが作られたのはなぜだったのか。
いよいよ20世紀の声が聞こえる頃、科学技術・医療の進歩、鉄道やモータリゼーションなど交通網の整備・発達がもたらしたさまざまな分野のイノベーションがあり、近代の幕開けを体感させた。
エッフェル塔は1889年のパリ万博で披露され、1900年には万博と第2回近代オリンピックがここパリで開かれた。ミシュランのガイドブックは1900年から刊行され、第1回のツール・ド・フランスが1903年に開催された。
近代産業が発達し、生活や仕事の仕方が確立し、日々の楽しみや余暇の過ごし方も豊かになってきた。カフェや酒場やキャバレーも繁盛している。大評判の芝居、おいしい食事や酒、容姿端麗な男女は都会の華である。
メディアや芸術は世に寄り添う。図版や絵画の複製、情報伝達やアーカイブの手段だった版画も技術的に進化してより一般的なメディアとなった。豊かな芸術表現を追い求めるものとなり、高みへの挑戦は重要視されていく。
リトグラフは18世紀末に開発された。そのおよそ100年後のパリで、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864 -1901)や19世紀末の画家たちによって、最先端の芸術は街頭や劇場に溢れたのである。
とりわけトゥールーズ=ロートレックの功績は大きい。南仏アルビの名門貴族に生まれ、その出自とは裏腹にモンマルトルの歓楽街や娼館などの人々の姿を持ち前の観察眼により描いた。ポスターや版画制作こそ彼の真骨頂だ。卓越したデッサンと色彩感覚、斬新な構図や新しい技法への挑戦にも懸け、後のグラフィック・アートは彼抜きには語れない。
日本から届いた浮世絵も忘れてはならない。斬新な構図や独自の陰影表現。西洋の画家たちが浮世絵に出会った時、それまでになかった閃きがあっただろう。
才能ある画家たちが手がけ、最新の技術で作られた版画となれば、それを収集する愛好家も出現する。作家たちは競って、版や刷りに実験的な試みをし、この新たな表現手段の可能性を追い求めた。ビジネスチャンスと見た画商や出版業者が版画集を刊行する。版画専門の画廊ができ、コレクターをターゲットに豪華版の版画集や一点ものの作品も出てきた。
一方、消費や歓楽、遊興という大衆文化を煽るのはポスターである。複製イメージがシャワーのように降り注ぎ、人々の欲望の導火線になる。
街中で目立つポスターを制作するために当代一流のアーティストが起用された。前衛芸術家たちの実験的な精神も惜しみなく注ぎ込まれた。そうやって生み出されたポスターをコレクターたちが集めたがるのは当然のことである。
このように19世紀末のパリでは、グラフィック・アートは生活や消費と芸術を結びつけるものであり、経済と直結した成果物だった。
 時代が進む時、新しいメディアや芸術が生まれ、育まれる。佳き時代のパリの人々の心を躍らせた芸術に浸る時間旅行を、美術館でしてみよう。

鍋修理/ルイ= ロベール・カリエ= ベルーズ(1882) 戸外で鍋を修理する職人。優雅な装いに身を包んだ男女は娯楽のための情報を得ている。その格差。剝がれかかったポスターが虚飾と儚はかなさも表す。(フ)

『レスタンプ・オリジナル』第1年次の表紙/ロートレック(1893) 版画専門誌、1893年の創刊号表紙。ロートレック御用達刷り師コテルと芸術に精通したスター、ジャヌ・アヴリルが試し刷りを精査中。(三)

版画とポスター(『版画とポスター』誌のためのポスター)/ウジェーヌ・グラッセ(1897) 街で人の気を惹くためのポスターと美術品である版画を下着姿の女性と淑女風の女性で擬人化し、対比。(フ)

 

版画とポスターは、
やがてコレクターズ・アイテムに。


豪華版の版画集や一点ものの作品が発売される一方、街中に貼られていた劇場のポスターもコレクション対象になるブームの加速ぶり。

絵画とは違う可能性を画家たちは版画に追い求めた。

 リトグラフは18世紀の終わり頃に開発された、水と油が反発する性質を利用して刷る平版形式の版画技法。開発から100年経った19世紀末のパリでロートレックはじめ印象派やナビ派などの多くの画家たちを魅了し、この手法を使った芸術の花が開いた。絵画よりも表現に制約が多いはずなのだが、画家たちはそれを逆手に取って色面や線、シルエットやパターンを工夫し、独創的な作品に仕立てた。

収集家も増え、版画は稀少価値を競い合う。

 版画の収集家は「アマトゥール」と呼ばれた。文化的センスや関心を顕示するためにコレクション作りをする人々も現れた。稀少価値を高める工夫もさまざまになされる。ある連作シリーズはポートフォリオに入れて発売されたが一枚一枚異なる紙を用いたり、ルマルクという余白の小版画を施されたものや一枚ずつ異なる手彩色がされたものも。また、ヴァロットンの「アンティミテ」シリーズなどは、エディション分を刷り終えた版木は裁断し、その断片を寄せ木のようにして刷ったものが作られた。稀少性の保証だ。

小さな洗濯女(『画家=版画家集』より)/ピエール・ボナール(1896) 体に似合わぬ大きな洗濯籠を左手で持つ少女。右手の傘はステッキ代わりか。ボナールなどナビ派の画家や当時の前衛的とされた芸術家が版画ならではの表現に関心を持ち、可能性に懸ける機運が盛り上がった。(フ)

お金(「アンティミテ」Ⅴ)/フェリックス・ヴァロットン(1898) 画面大半を大胆に墨で塗りつぶす。この連作では「噓」「告白」など意味深で思わせぶりなタイトルで官能の世界、男女の駆け引きや闇を表現。(三)

ロイ・フラー嬢/ロートレック(1893) 刷りごとにインクの色を替え、刷り上がったばかりの作品に銀粉と金粉を手で撒くなどして独自の効果を狙い版画の価値を高めた。(三)

日本の浮世絵に驚き、
感心し、参考にした。

 江戸時代の日本で大衆文化の広まりに一役買った浮世絵。浮世絵は単なる美術品ではなく、出版物なのだ。人気の役者が描かれ、当世の美人が描かれ、各地の名所が描かれている。大胆な構図と色で構成、陰影のつけ方も独特。多色刷り木版とリトグラフの違いはあるがフランスの画家たちが浮世絵の表現に学ぶことは多かった。とりわけロートレックの日本贔屓きは顕著だ。

団十郎七 河原崎権十郎/月岡芳年(1862) 見たいもの、見せたいものが描か れる。いつの時代も贔屓役者の絵は欲しい。芳年は役者絵、歴史絵、美人画など、幕末~明治初期に活躍した浮世絵師。(フ)

エルドラド、アリスティド・ブリュアン/ロートレック(1892) 写楽の役者絵のように単純化して描かれた歌手アリスティド・ブリュアン。ポスターがイメージを浸透させ一層の人気獲得に貢献。(三)

所蔵先凡例
(三)三菱一号館美術館
(フ)ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)

©マガジンハウス2017 BRUTUS856号掲載