三菱一号館美術館公式ブログ

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2015年12月11日

三菱一号館美術館公式Twitterのご紹介
「画鬼・暁斎」展100問ツイートアーカイブ(問17~問50/展覧会について①)

皆様こんにちは。
100問ツイートの続きをご紹介させていただきます。
以下は、「画鬼・暁斎」展担当学芸員・野口玲一にインタビューを行ったものです。

暁斎チラシレイアウト

【問17】コンドルが三菱一号館のほかに設計した建物を教えてください。
【答17】鹿鳴館、ニコライ堂、旧古河庭園の洋館と洋風庭園などです。また旧岩崎邸庭園もコンドルの設計で、
    これは岩崎彌太郎の長男三菱第3代社長の久彌の本邸として造られました。現在一般公開も行っており、
    ご覧頂くことが可能です。

【問18】「画鬼・暁斎」展の図録に収録されている、ドナルド・キーンさんと河鍋暁斎記念美術館館長の
    河鍋楠美さんの対談について、コンドルに関連する印象的なエピソードはありましたか。
【答18】キーンさんのご自宅で対談を行いましたが、旧古河庭園を見下ろす場所にあったのが印象的でした。
    旧古河庭園の洋館と洋風庭園はコンドルが最晩年に設計したものです。

【問19】ドナルド・キーンさんに対談をお願いするきっかけはどのような理由だったのでしょうか。
【答19】河鍋楠美さんとキーンさんの長年の交友関係により、実現しました。
    お二人の関係は、『古典の愉しみ』という書籍の中でキーンさんが暁斎を取り上げたことが
    きっかけだそうで、キーンさんは暁斎も親しんでいた狂言を習っていらしたそうです。
    対談は「双方向の東西交流」というテーマです。

【問20】対談内容で印象的なやりとりはありましたか。
【答20】キーンさんが、アメリカにおける日本の美術や文化芸術の評価が、
    第二次大戦後劇的に向上したというお話をされたことです。(詳しくは図録をご覧下さい。)

【問21】「画鬼・暁斎」展の図録に、隈研吾さんと河鍋楠美さんの対談も掲載されていますが、
    どのような対談でしたか。(暁斎展図録画像掲載)
【答21】隈さんのコンドルに対する率直な考えを伺う事が出来ました。
    今回の展覧会に新しい方向性を加えたといっても過言ではありません。

【問22】それは具体的にどのようなものでしょうか。
【答22】隈さんはコンドルと暁斎との出会いを、ある種必然的なものであると考えていらっしゃいました。

【問23】なぜ必然と考えるのでしょうか。
【答23】隈さんは、「コンドルは日本の近代建築の立役者でありながら、その一方で英国の産業革命や近代化について
    批判的な視点を持っていたのだ」と。
   「だからこそ暁斎と響き合うものがあったのだ」と考えていらっしゃいます。

【問24】暁斎とコンドルは親子ほどにも齢の差があったのですよね。
【答24】ええ、明治14年(1881年)にコンドルが暁斎に弟子入りしたとき、コンドルは満29歳、
    暁斎が数えで51歳でした。そして、その交流は単なる師弟関係に止まるものではありませんでした。

【問25】コンドルにとって、日本はどのような場所だったと思いますか。
【答25】未だ西欧近代に侵されていない、ユートピアのような存在だったと思います。
    開国したばかりの日本の文化が万博などで紹介され、欧米人にとって日本は憧れの文化でもあったのです。

【問26】コンドルは、日本を西欧近代に侵されていない、ユートピアのような存在と思いつつ、
    実際には日本の近代化に貢献する訳で、それは矛盾しないのでしょうか。
【答26】そうですね。コンドルは近代化に突き進んでいく日本を見て、実際にどう思ったかはわかりませんが、
    そんな中暁斎との関係を深めていったのは象徴的です。
    暁斎はコンドルから見て江戸絵画を体現する絵師であり、彼の想いとシンクロしたのだと思います。

【問27】日本にヨーロッパの近代建築を持ち込んだコンドルは、隈研吾さんの現代的な建築から見ると、
    時代遅れであるように思えるのですが。
【答27】私もそのように捉えていました。
    しかし、隈研吾さんは近代に対して批判的なコンドルの持つ豊かさに対して、
    シンパシーを感じていらっしゃったのです。隈研吾さんは日本の近代建築を相対化した世代で、
    そのルーツをたどるとコンドルまで遡るようなのです。

【問28】周回遅れで追いつく、みたいな感じでしょうか。
【答28】その通りです!

【問29】具体的にはその時代のあり方や価値観に、疑問を投げかけているという事ですか。
【答29】そうですね。隈研吾さんは「建築の近代とはいったいなんだったのか」と、考え始めた世代です。
    そこからポストモダンへつながっていきます。近代の「次」はどの方向に進んでいくべきかと。

【問30】だからこそ、西欧近代主義に流されず、伝統的な様式や素材の温かみを重んじたコンドルに
    共感されているのですね。コンドルが近代日本画のルーツとなる狩野芳崖(かのうほうがい)や、
    橋本雅邦(はしもとがほう)ではなく、暁斎にシンパシーを感じた感覚とも通じるのでしょうか。
【答30】暁斎とコンドルでは親子ほど年の差があったという事ですが、二人にも共通の想いがあったからこそ、
    師弟関係を超えたつながりがあったのかと思うと、国や時代を超えた共感というものが解る気がします。
    そんな視点を与えてくれたのが、今回の隈研吾さんとの対談でした。

【問31】近代日本画のルーツとなる狩野芳崖(かのうほうがい)や橋本雅邦(はしもとがほう)の名前が出ましたが、
    彼らは暁斎と近い年齢だったのでしょうか。
【答31】狩野芳崖は暁斎の3つ上、橋本雅邦は暁斎の4つ下でした。同世代なのにイメージが違いますよね。
    狩野芳崖と暁斎は同じ年に亡くなっています。二人とも、東京美術学校の初代教員候補でした。

【問32】「東京美術学校の初代教員候補だった」ということは、実際には就任しなかったという事ですよね。
【答32】そうです。はじめに狩野芳崖のもとに、フェノロサと岡倉天心から就任の依頼がありましたが、
    狩野芳崖は《悲母観音》を描いているときに体調を崩し、明治21年(1888年)11月に
    亡くなってしまいます。

【問33】狩野芳崖の次の東京美術学校の初代教員候補が暁斎だったのですか。
【答33】はい。続いて暁斎に声がかかりましたが、狩野芳崖の後を追うように翌年4月に暁斎も胃がんのため、
    この世を去りました。東京美術学校が出来る直前のことです。

【問34】結局、東京美術学校の初代教員には誰が就任したのでしょうか。
【答34】橋本雅邦が就任しました。彼が近代日本画を担う横山大観や菱田春草を指導することになります。

【問35】もし暁斎が東京美術学校の教員になっていたら、日本画は現在の状況とは異なっていたと思いますか。
【答35】かなり違ったものになっていたのではないでしょうか。「もしも」がないことは承知しておりますが、
    教えるのが上手だった暁斎が教員に就任していたら・・・と考えてしまいます。

【問36】暁斎は教えることが上手だったようですが、弟子に対してどのように接していたのでしょうか。
【答36】暁斎があまりにも熱心に弟子を指導するので、弟子の上達が早く、暁斎の贋作を作ってお金もうけを
    始めてしまうのに懲りて、弟子をとることを一時やめていたそうです。

【問37】コンドルが暁斎への弟子入りを希望した時はどうだったのですか。
【答37】実はコンドルも一度、弟子入りを断られているのですよ。
    熱心に頼みこんで、暁斎への弟子入りが実現しました。ちなみにそんな暁斎の命日は4月26日なのですが、
    本展覧会を開催するにあたり、報告も兼ねたお墓参りに行ってきました。

【問38】暁斎のお墓はどこにあるのでしょうか。
【答38】東京都台東区・谷中の瑞輪寺(ずいりんじ)にあります。

【問39】暁斎の墓石の形が変わっていると伺ったのですが。
【答39】蛙の形をしています。

【問40】よく見かける立方体(四角い形)ではなく、蛙の形をしているということですか。
【答40】はい、うずくまった姿勢の蛙の形をしています。

【問41】暁斎の墓石が蛙の形なのは、理由があるのでしょうか。
【答41】暁斎が3歳の時に初めて写生したのが蛙なのだそうで、蛙に思い入れがあったのだと思います。

【問42】「画鬼・暁斎」展にも蛙が描かれた作品がたくさんありますね。おすすめの作品はありますか。
【答42】《美人観蛙戯図》(びじんかんあぎず)です。当館HPなど、広報用としても使用されているので、
    目にされている方も多くいらっしゃると思います。

【問43】《美人観蛙戯図》(びじんかんあぎず)の注目ポイントはありますか。
【答43】描かれている女性は、人前でなく動物といることで、どこか寛いだ物思う表情を見せており、
    絵を観る者に彼女の内面をのぞき見したような気持ちにさせる絵です。

【問44】《美人観蛙戯図》(びじんかんあぎず)の蛙たちは、何をしているのでしょうか。
【答44】この作品は、《鳥獣戯画》を彷彿とさせます。蛙が相撲を取っている場面が描かれており、
    その様子を女性が眺めています。おんぶしたり、石灯籠に隠れたり、蛙たちの生き生きとした姿や
    表情にもご注目ください。《美人観蛙戯図》(びじんかんあぎず)のとなりに並んだ作品もおすすめです。

【問45】それはなんという作品ですか。
【答45】《横たわる美人に猫図》という作品です。横たわった女性が、頬杖して猫を眺めています。
    この作品の御簾(みす)と猫の組み合わせは、紫式部の『源氏物語』に登場する「女三の宮」
    を連想させます。

【問46】先ほどの《美人観蛙戯図》(びじんかんあぎず)と似ていますね。
【答46】二つの作品はほぼ同じサイズであり、画面の右寄りに垂直線を置き、画面左上には、
    上から植物がさしかかる構図が似通っています。

【問47】構図の他に似ている点はありますか。
【答47】『鳥獣戯画』『源氏物語』という古典を下敷きにした構想や、二人の女性のしどけない姿の匂わせる
    エロティシズムという点も共通しています。遊女と動物の組み合わせも共通しており、これらは組、
    或いはシリーズの作品と言えるかもしれません。

【問48】その他に、この二つの作品について注目ポイントはありますか。
【答48】個性的な顔貌表現と、動物との交流から引き出される内省的な表情の描写は、
    暁斎が描く美人の中でも突出しており、近代的美人画を先取りしたような作例であることも興味深い点です。

【問49】蛙が描かれている他の作品を教えてください。
【答49】《鳥獣戯画 動物行列》にも他の動物と共に蛙が登場しています。
    さらに、蛙ばかりを描いている作品も本展覧会に登場しているのですが、
    そちらは会場で探してみてください。ユーモラスな錦絵の作品です。

【問50】暁斎の蛙について気になった方へ、他の情報はありますか。
【答50】暁斎とつながりの深い蛙にちなんで、河鍋暁斎記念美術館では「かえる友の会」を主催されています。
    蛙好きの方はチェックしてみてください。
    ◆かえる友の会はこちら

【担当学芸コメント】
暁斎の蛙の墓石のお墓がある瑞輪寺(ずいりんじ)ですが、ちょうどお寺の門を出た先に「日本美術院」があり、
何かの因縁を感じてしまいました。

さて、何の因縁を感じたのでしょうか。次回に続きます。

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